誰かの泣く声が聞こえた。ふと、その方に向いてみた。





「可哀想になあ。」




 別の誰かの声。言葉の割にその声が空々しく聞こえるのは、多分、どう言おうとその人物はそれまでただの傍観者として何もしなかったからだ。



「父親が、流行り病でな。見捨てりゃ良いのにずっと留まっていた所為で、母親まで病にかかっちまった。父親の方は少し前に死んだんだし、あの子供らはどうすんだろな…いや、どうせ直ぐに死ぬのかな。同じように、病気、うつされて。」

「へぇ…可哀想だねぇ。」




 同じように空々しい響きの声がまた聞こえた。もうどうでも良い気がしたので聞き耳をたてるのをやめた。
 ただ、暗い家の中でひたすら死体にすがって泣く、二人ほどの小さな子供を見ていた。



 ずっと。























                      
『B&C』






















 「法師さま?」
不意に聞こえた声ではっと意識が現に戻る。軽く見渡すとその姿は容易に認められた。

 「なんでしょう。」
「なんでしょう・じゃないよ。いつまでそんなとこにつっ立ってんのさ。行こう。…あの子達にあたしらが出来ることなんて、無い。」
 後半を苦々しく吐き捨てるように言った珊瑚に、弥勒も答えた。
「ええ。……解っています。解って……いますとも。」




 その目は空ろだった。




































 太陽はもうすぐ沈みそうで、空が紅く染まっていた。それはとても美しい光景と言えそうだったけれどそんなことはやっぱりどうでも良くって、身体をもたれている木を少し見上げてそしてまたぼんやりと山の方向を見つめた。誰もいなかった。






 けれど直ぐに誰かが夕飯だとか言って呼びに来るのだろう。そうして自分は半強制的にでも連れて行かれる。
















 …良い、こと。

 そうかも知れない。
 でも。









 嫌だ。






















 唐突に脳裏をよぎったその考えを特に深く突き詰めることもせず、弥勒は立ち上がった。




































 「あれ?」


 もう充分に煮えた鍋の中身を最後に少し舐めて顔を上げてみると、そこに居るはずの面子は少し足りなかった。少し、というほどでもない。1人だ。
「法師さまは?さっきせっかく連れてきたのに」
「知らねぇ。見てもいねぇ。」
 素っ気無い返事(当の半妖は子狐をいじくって遊んでいる)にため息をして、珊瑚は立ち上がった。
「どしたの?珊瑚ちゃん」
「呼んでくる。」































 「何処か行きたい所でも?旦那。」
「別に」
「別にって…勝手に出てきたんでしょー?まずいですって…犬夜叉さんとかかごめさんとか、珊瑚姐さんに怒られるの、あっしは嫌ですよー。」
「いつから珊瑚はお前の姉貴になったんだ」
「だって弥勒の旦那と良いな かっ!」
「よけーなんだよいっつも、お前は。一言。」

 弥勒の錫杖でぶたれ、巨大化しているにも関わらず涙を目にためる狸を少し冷たい目で見つめてから、前方に視線を戻し彼は軽く瞑目した。
















 怖い。


 ただそれだけだった。









 今更、なのに。


































 「また居ない?」

 かなり怪訝そうに問うた犬夜叉と同じく怪訝な表情を浮かべる少女+狐に対し息を切らしながら珊瑚はうん、と言う。もう村の中を二周してきた後だった。
「どこに、も…居ない。昼間もちょっと変だったし…もしかしたら・だけど。」
「変、って…」
戸惑ったようにおろおろと立ち上がったかごめをひょいと背負い、ついでに七宝を肩に引っ掛けて、

「とりあえず捜す。あいつの事だから、やると決めたことは直ぐにでもやってるだろ。」

犬夜叉はだんと飛び出した。



 「……雲母。おいで」
短く言っただけで猫又は炎を吹いて巨大化した。







































 「良い朝ですねぇ、弥勒の旦那。」
「あぁ。」
「あっし、こうして特にどこを目指すでもなくぶらぶらするの、久々ですよ。」
「そうか。」
「…人里にでも、下りてみますか?」
「……あぁ、それも良い。……いや。それが、良い。下りよう。」
 どうにも行き当たりばったりとしか思えない空ろな返事に少々眉をひそめながら、ハチはパッパッと焚き火の跡に砂をかけ始めた。













































 笑い声が聞こえた。笑い声、というのは違うかもしれない。何か温かい感じの声がしたのだ。
 その方向を向いてみた。少しだけ辛そうな表情の男と、笑っている子供がいた。


「戦だもんなあ。」
「可哀想に、あの父親、もう帰ってこねぇだろうなあ。」




 やはり空々しい声は無視して、ただ親子の様子を眺めていた。特にどうするでもなく。母親はどうしたのだろう、死んだのか、それとも病に臥せって家の中にいるのか。

 父親が言う。
「…すまないなぁ。」
子供は言った。
「何言ってんだ。」

そしてやっぱり笑った。声は立てず、だけど顔いっぱいに広がるような笑顔。




 目尻にうっすら浮かぶのは、多分。













「俺、しあわせだったよ。」










 子供の言葉に、父親が、そして弥勒が目を丸くした。子供は一生懸命に笑ったまま、続ける。


「俺、しあわせだったんだ。母ちゃんだってそうさ。父ちゃんが居てくれて、しあわせだった。何があったって、これは変わんないよ」



 両の拳は白くなるまで強く握り締められていたけれど。



「もし父ちゃんがこれっきり俺たちの前に現れなくたって、もし骨になって帰ってきたって、変わらない。父ちゃんが居てくれて良かったって、俺、はっきり言える。哀しいから父ちゃんが居た事自体が辛いなんて、言ったりしない。」



 雫はやっと、ぽろっとこぼれた。













 「居てくれて、ありがとね。」













 その小さな涙の一粒、それは父親の存在の証明だった。
































 「……ハチ。」
ふと、つぶやくように呼ぶ。それでも狸は耳ざとく聞きつけて、寄って来る。

 「なんです?旦那。」
「帰……」
るか、まで言う前に、弥勒は言葉をとめた。ハチが怪訝そうに顔を見る。それも無視して、



「……あぁ。」
額に手をかざし、それほど高い太陽があるわけでもないのに眩しそうに目を細めた。














 「法師さま!」











 太陽は舞い降りる。





























 数十分後。


 「何考えてんの!?」
「すいません。」
「だから、行動する時にはもうちょっと考えてさ!」
「すいませんねぇ。」
「…聞いてる!?」
「はぁ。」
「聞いてないな!」
「いや、別に聞いてないわけでも…」

 巨大化した狸の上で繰り広げられる間の抜けたやり取りはかなりの間続いていた。
 犬夜叉たちが見つからない。見つかるまで続くだろう、空の旅。






 一人でぷんぷんと怒りまくっている珊瑚の言葉をほとんど右から左に流していた弥勒が、ふと、呟いた。
「…色々ね、考えてたんですよ。」
「はぁ?」


 ほんっとに何言ってんだこいつは・といった表情をあからさまに出した珊瑚に、ぼーっと前を向いたまま、続ける。


「今の状態が、周りに火の粉を振りまきかねない自分が誰かと呑気に一緒に居る状態が、酷く危険で馬鹿なことのように思えた。流行り病で一家が全滅しかけてるのを見て、そう思った。」
「え……」
「だから出かけたんですけどね。嫌だと思ったから、もう一瞬だってそれをそのままにしたくなかった。」


 でも、と続け、





 「生き別れ必至の親子の、子供の笑顔を見た時、それもそうだと思った。」






 良く解らずにいる珊瑚に、ほんの少し微笑む。
「私も言ってもらえたら・ってね。私は少しその猶予が短いかも知れないけれど、でも、生き物ならいつかはどうせ来るんですから。別れの時が。だから、どうせなら、その時になって誰かに“貴方が居てくれて良かった”と言ってもらえる方が良いな、と。」








 少し目を閉じて、

 「そんな生き方が出来ればいい、ってね。思ったんですよ」











 「……」
しばらくの間の後で、
「単純でしょ?」
珊瑚は、
「うん。…そんなんに振り回されたのかって思うと、ちょっと腹立つ、かな。」
「はは。」
軽く笑う弥勒を少し睨む。
「ものすごい行き当たりばったりじゃない。あたし、法師さまはそういう人じゃないって思ってたよ」
「そうですか?」
「そうだよ。」
「すみません」
「謝られることじゃないよ。だからって何も無しで気が済むことでも無いけど」
「…すみません」
「でも嫌いじゃないけど」


 最後の言葉で、ちょっとだけ驚いたように珊瑚を見つめる。彼女は初めて少し微笑った。



 「良いや。人間だもんね。いつでもどこでも先が見えて先に向かって進むなんて、そんなの神さましか出来ないよ。あたしたちみんな、泥と闇の中でそれでも流れと光を求めて迷ってんだ」





 今度は満面の笑み。

「そのためだったら、いろんな人たちに助けてもらうのだって悪くないし、ぶつかったものに沿って流れてくのだって、悪くない。」























 空飛ぶ狸は、案外空気の抵抗が強い。
 そこの抵抗から起きる風をすうっと吸い込んで、弥勒も笑った。


「…そうですね」






 そして傍の珊瑚に手を伸ばし、その手をとる。





「じゃあ、一緒に。」














 きゅっと握った。












 笑顔が零れる。
























                                  ---------------------End.
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