よく笑う人だ。

 いつもいつも、柔らかく温かく明るくからからとくすくすとけたけたと。
 なんでそんなに笑えるのか、不思議で不思議でたまらなかった。




 あなただってぎりぎりのはずだ。あなただって不安定なはずだ。頼りなくて掴めなくてもどかしい、そんな希望しか無いはずだ。
 あたしなんて、もう、あの頃笑っていた理由も気分すらも忘れてしまった。気がする。










 気楽な人、なんだろうか。





 そんな、至極軽い結論の中で、ある時気付いた。




















 ああ、この人、あたし達の前では一度も笑ったことなんて無かったんだ、と。

























                       『遥か』
























 「あ。」
 ふとあがった声に、どしたの・と反応する。
「札書く道具、夢心さまのとこに忘れてきたみたいです。」
「はぁ?」
 怪訝な顔をしながら近づいてみると、ばさばさと荷物一式をぶちまけながら法師がしまった・という表情を浮かべていた。そういえば、いつも使う呪府は彼の手書きで、時々書いていたような気がする。
「どうすんのさ。」
「しょうがない、取りに行きます。」
「どうやって?もう結構遠くまで来てるけど」
「ハチなら楽ですね」
「また使うの、あの子…」
「“あの子”なんて呼ぶ歳でもありませんよ、ハチは。」
「どうでも良いだろ。……ね。ついてっても良い?暇だしさ」
「……、ま、良いですけど。どうせ何もありませんよ」

 呼んできます、と言って小屋を出ていくその後姿を、特にどうというわけでも無く眺めた。そういえば、七宝と外へ遊びに行った雲母はどうしたろうか。























 それにしてもよく笑う人だな、と思う。戦闘時以外では真顔など滅多に見ない。それは多分つい先日のことからすると彼なりの強がりで、でもいつも見ていることからするとどう見てもただ気楽にのらりくらりへらへらしてるようにしか思えなかった。
 今だってそうだ。苦笑い・微笑み・含み笑い。色々な種類の笑顔をよくもまぁと思うほどに見せてくる。


 あたしも、あれくらい気楽に笑えればな。




 それくらいに考えながら、狸を呼びに行ったままもう十五分近くも戻らないその人を探しに行くため、珊瑚は腰を上げた。





























 「どこ行ったんだ。」
探しているのは狸なんだし、森の近くだと思ったんだが。あれそういえば、何故あの狸はいつも都合良くあたしらの近くにいるんだろう。
 どうでも良いようなことをつらつらと考えながらうろうろしているうちに、見覚えのある丸っこい尻尾が茂みの合間から覗いて見えた。

 ――いた。

 世話の焼ける、などと思いながら近づこうとしたが、ふと思い留まってそっと茂みの向こうを覗いた。


 あの狸相手でもやっぱり、彼は笑っているんだろうか。




























 ――ああ、また脅迫まがいのことを言っているんだろうか。狸、可哀想に。

 見ればしきりに狸はおろおろと動き、法師は狸の目線に合わせてしゃがみこんだまま錫杖でぴたぴたと狸の額を叩いていた。ったく、後で戒めておかなきゃ、と記憶に刻む。
 少しすると、話にケリがついたらしい。法師がすっくと立ち上がった。


 ――笑わないな。


 もっと笑うかと思ったのに。そんななんとなくの予想を裏切られ、もうとっとと声をかけてしまおうとしたその時、はっとその動きを止めた。
















 立ち上がった法師が、不良ヅラのままですたすた歩き出して。
 狸が慌てて追いかけて。
 その様子をちらっと振り向いて見やった後。



 不意に、微笑った。
































 その瞬間彼女は理解した、今まで自分は彼の笑顔など見たことがなかったのだ・と。

 今この瞬間見たそれは何の気なしに零れたなんでもない“ただの”笑顔で、だけど珊瑚の見てきたものとは全く違い軽くて情があって何よりどこか安息を見いだせた。



 そしてそれは多分、狸だけに向けられたものだった。

 彼が真実に気を許しているのはあの狸とそれから恐らくあの飲んだ暮れの坊主、その二人だけなのだと悟った。

















 自分はなんと馬鹿で浅はかだったのだろう。

 そう思うと、頭を誰かに殴られたような感覚に襲われた。


















 いつも笑っていたわけじゃない。
 いつも、彼はただ、無表情でいただけだったんだ。






























 突然、法師からその笑みが掻き消えた。いつものぼやっとした表情で、視線が珊瑚の方向を貫く。
「珊瑚。どうしたんですか。」
一瞬躊躇い、その後で、
「…遅いから見に来たんだよ。行けるの?」
「ええ。なぁ、ハチ。」
「へぇ……」
いささか狸の声は萎えていたが、珊瑚は全く気にすることも出来なかった。もちろん、先程まで狸を苛めるなと注意しようと考えていたことなどもすっかり忘れていた。


























 「なんじゃ、お前。何しに来た。鐘の所に座っとるの、ありゃあの狸か。」
「ちょっと忘れ物をしたんですよ。…あ、あれは確かにハチです。ええと、で、すぐに発ちます。」
「そうか。んじゃとっとと持って来い。」
「はい。」
簡潔なやり取りのあと、弥勒はとたとたと御堂を出て行く。その後姿を見送った後で、自分の他には坊主とあとは仏像くらいしかいなくなった悪戯に広い空間を軽く見渡し、
「あの…坊さま。」
「ん?」
なんと呼べば良いか一瞬迷ってから結局当たり障りの無いようそこらの坊さんたちと同じように呼び、そしてぽつりと言った。
「法師さまは…笑いませんね。」
「ほぉ?」
なんとも間の抜けた返事にしかし構わず、
「今まで、いっつも笑ってるんだと思ってたけど…ほんとは、少しも笑ってなかった。」
「そうか?」
「そうです。」
少し哀しそうに、というか、つまらなそうに。
「あたし達に、気を許してるように見えて、実は誰より許してなかった。あたしに、あんな、ハチにするような笑い方、したことない。」
 かなり真剣な面持ちのままそうして黙ってしまった珊瑚に、お気に入りらしい土瓶入りの酒をあおりながらぽりぽり頭を掻いて坊主は言う。
「…ま、わしには良く分からんがなぁ弥勒が笑っとるかどうか・なんぞ…でも、これだけは言うておく。」
 そこでふっと笑って、
「弥勒がハチ以外と二人だけでここに来たのは、少なくともお前さんが初めてじゃ。それに、他人と七日以上連れ添うのもな。お前さんたちが、初めてじゃ。」
 きょとんとする珊瑚の頭をぽんぽんと軽く叩き、
「そんなに悲観するこたぁ無い。あいつはな、お前さんが思っとるほど複雑な奴じゃあないぞ。あんだ大人数に順応しとるのを見て、わしも安心したわ。あそこまで進めばもう充分。そのうちあんたの思ってるような笑い方もするようになるさ。それこそ、もう良いよもうたくさんってぐらいにな。」







 にこにこ笑った。























 「あ゛っ、てめ、コラ!珊瑚に何してやがる飲んだ暮れ!!」
戻ってきた弥勒は、珊瑚の頭を夢心が撫でて(本当は叩いて)いるという光景に、まず、そう怒鳴った。





























 「…さっきから、何、黙り込んでんですか、珊瑚。」
「…別に。」
 夢心にはああ言われたが、目の前の法師が浮かべているのはやっぱり笑みでいて笑みでない、無表情という名の不信感。
 「もしかして暑いですか?こいつ(ハチ)の上だとどうしても日陰も何も無くって直接日の光を浴びちゃいますからねー…」
「ち、違うって…あ、あの、えと……」
少し慌ててしかし後に続ける言葉が見つからず思わず腰を浮かせる。と、滑らかな化け狸の表面に足がする、と滑った。
「わわっ……」
「っと!」
なんとか弥勒が引き戻し、とりあえず空中ダイブコードレスバンジーはまぬがれる。
 「…あ、ありがと……」
腕を掴まれ腰に手を据えられ、十六年間生きてきてほぼ無いに等しい経験数(数少なく有るにしてもそれはここ一月ほどの間の話だ)の至近距離になんとなくどぎまぎしていると、
「なんだ、お前も案外そそっかしいですな。」
「そ、そそっかし………あのねぇ、今のはっ……」
いささか自尊心を傷つけられてばっと顔を上げると、目が合った。




 「面白いですねえ、珊瑚は。」


 その顔は、確かに、笑っていた。




















 あんまりに無邪気で何気ない笑みだったものだから、思わず数秒呆気に取られてしまう。ぽかんと口を開けていると、
「……どうかしました?」
思いっきり怪訝そうに顔を覗かれて、また思わずのけぞった。バランスが崩れかける。
「ちょ、ちょっと!本っ当にそそっかしいんですね、お前……」
「う、うるっさいっっ!放せっ!!」
「落ちますって…」
 軽口を叩き合いながらなんとか離れ、そっぽを向いて深呼吸。なぜだろうか、胸がどきどき波打って頬は火照った。小袖一枚が酷く暑く感じる。

 あつい。

 くるしい。

 だけど、





 嬉しい。




















 微笑ってくれた。ただそれだけのことが、何故だかたまらなく嬉しくて。

 知らず、珊瑚自身からも笑みが零れた。
 ほろほろと、はらはらと、酷く軽く自然にそれは零れた。




















 「…気分屋ですねぇ……。」
何も知らない弥勒が一人、ぽつんと怪訝そうに呟いた。






































 不思議だなあと思って、それから悟って、そして哀しかったけどでも今はもうだいじょうぶ。















 ねぇ、あたし、寂しかったんだ。寂しかったんだよ。
 そんな、深く深く想ってるわけじゃないんだけどね、だけど、全然信じられてないっていうのが、寂しくて寂しくて嫌だった。




 信じ切れてないあたしが、想い切れてないあたしが、言えることじゃないかもしれないけれど、








 微笑ってくれてよかった。許してくれてよかった。























 よかったから、うれしかったから。

 あたしは、これから。









 これからきっと、きっと。






























 ――いつか、君に。









                                --------------------End.
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三部作二部目、珊瑚パートです。珊瑚が弥勒に興味を持った瞬間があったとしたらどんなんだろかな〜と思って、とりあえず女ったらしで好い加減な弥勒に最初は関心すら薄かっただろうな・と、それが好きに発展するくらい関心抱くとしたらやっぱ弥勒の二面性とか裏の強さとかそんなん悟った時だろな〜と思って、こんな話になりました。弥勒とは多少関心の持ち方が違います。微妙すぎますが分かって頂けると嬉しいです(笑)これもなかなかお気に入り。この頃から大体今の作風に繋がってる気がします。。