怪談
「うわぁ、海だー!」
嬉しそうに言った少女に、隣の少年は特に相づちも打たず代わりに「けっ」と吐き捨てた。
「ほんと。久しぶりに見たね、海なんて…山の中ばっかり巡ってるから。」
「あまり慣れていませんからな。まぁでも、たまになら目の保養ですか。」
「おら、遊びたい。」
呑気な会話はエンドレスに続き、足取りも同じくのんびりと彼らは進んでいった。
青緑色に煌めく海は、美しいとしか言いようが無い。
「かごめぇ、これはなんじゃ?なんかもじゃもじゃと触手のようなものが…うわっ、動いた!!」
「あ、それね、それ、イソギンチャク。大丈夫よぉ、人間は食べないから。可愛いもんだわ、ミミズに比べれば…」
言葉の最後の方はほとんど吐き捨てるように言っていたが、それでも彼女自身楽しそうだった。
磯遊びなんて幼い頃海水浴に行った時やったっきりだ。こういうのはいくつになっても楽しいものである。
「磯のわりには穏やかですな…あれ、かごめさま。靴とやらはどうされたので?こうもでこぼこした岩肌では、履いていたほうが足には…」
「んー、あれ革で出来てるから、塩水に濡れたらって思うとぞっとしないのよね。ふふ、紫織ちゃんのときぐらい切迫してればそんなこと言わないけど、今は遊びだし。ゆっくり歩けば大丈夫よ。ちょっと痛いけど。」
明るく笑って裸足のまま子狐と一緒になってぱしゃぱしゃ海面に足を漬けて遊ぶ少女は酷く可愛らしく見えたが、そんなことを言えば隣で仁王立ちしながら少女が海に落ちたり岩に擦って怪我したりしやしないかと冷や冷やしている少年から鉄拳が飛んできそうな気がして、弥勒は黙った。ふと視線を巡らす。隣にいたはずの珊瑚の姿が消えていた。
「犬夜叉。珊瑚は?」
自分は座っているためかなり上方にある犬夜叉の顔を見上げると、仏頂面でかごめたちの方向を睨んだまま、無愛想な返事がきた。
「知るかよ。」
次いで同意するようにみぃ、と鳴いた犬夜叉の肩に乗っかっている雲母を少し恨めしそうに見つめた後、とふう、とため息をつき、かごめにも声をかける。
「かごめさまー。珊瑚、そこから見えませんか?」
「えぇ?いないの?ちょっと弥勒さまぁ、隣に居たんだからいなくなったことくらい気付きなさいよねー…えーっと、あ、いたいた。あっちの岩に座ってる。でもあの辺…深そうだし、呼んでくるわ。待ってて!」
やはり明るく言ったかごめは、犬夜叉たちの返事も待たずにぴょんと向かいの岩に跳び乗った。見れば足にはいつの間にかあの茶色い靴。早く走るにはやはりこの波に削られた岩たちは足に痛すぎるようだ。
「珊瑚ちゃーん!その辺、危ないよ――!!」
大きな声で叫びながら、ふっと脇の海面を見る。淡い水色のガラスのように透明で、ほんの少しだけかかった緑色がますますその美しさを深めていた。
きれい。
思わず思ったものの、水はなかなか深そうだった。海底は見えるし相当深いというわけでもないが、犬夜叉で足が着くか着かないかといったところだろう。落ちても珊瑚ほどの運動神経で溺れるとは思えなかったが、それでもかごめはなんとなく不安だった。
それは彼女の第六感というやつであり、かなり強いものだったのだが。
珊瑚は正座するように両膝をつき、両手を岩のふちにかけてぐっと水面を覗き込んでいるようだった。じっとそのまま、動かない。
「珊瑚ちゃ……」
返事が無い友に再度呼びかけようとしたとき、かごめはぎくっとして思わず言葉も半ばに立ち止まった。自分の見ているものを凝視する。
それは“手”だった。微動だにしない珊瑚が覗いている水面から、透き通った白い腕がする、する、と伸びて、まるで絹のように滑らかに蠢いた。右から、左から、珊瑚を中心に挟み込むようにして水面から生えてきた“手”は、ゆらゆら揺れながら少しずつ距離を狭めていって……
気が付いたら、きゃああっと悲鳴を上げていた。必死の想いでまた名前を呼ぶ。
「…珊瑚ちゃん!!」
と、珊瑚の肩がびくっと震えた。ぱっと顔がこちらを向く。その目はいつもと全く変わらず、ただ少しきょとんと丸くなっていた。
「…どしたの?かごめちゃん。」
「え……」
珊瑚が動いた刹那、“手”たちはすっと掻き消えた。水面には何も無い。ただ波に合わせて水がちゃぷちゃぷと揺れている。
「……良かったぁぁぁっ、珊瑚ちゃんー!!」
自分の隣にへなへなと座り込んだかと思えば抱きついてきて泣き出してしまった少女に、珊瑚は目を白黒させてその背に腕を回す。
「あ、あの…何?なんで泣いてるの?ね、かごめちゃん……大丈夫?泣かないで、ねっ…」
「なんだぁかごめっ、何があった!!」
「どうかされましたか、かごめさまっ!!」
「かごめーっ、どうしたんじゃぁ!!」
悲鳴を上げたのはかごめだったために何かが起きたのはかごめの方だとすっかり思い込んだ男連中が駆け寄ってきたが、かごめは珊瑚に抱きついたままで手がいっぱいだの珊瑚ちゃんが引きずり込まれるだの幽霊だのと喚くばかりで何も知らない人々にとっては全く要領を得ない。
彼女と同じものを見ていたなら、これらのキーワードも充分納得いっただろうが。
「…なんにも、いませんが。」
「うそぉー、ほんっとに見たんだから!白くて透明なたっくさんの“手”!!」
今しがた珊瑚のいた淵から海を覗き込む弥勒に、かごめは一生懸命主張する。
確かに見たのだ、夏の怪談話の定番、飛び込み前に撮った写真に写る大量の腕・生中継バージョン。思い出すだけでぞっとする。
「珊瑚、何も感じなかったのか?」
犬夜叉が訊くが、珊瑚はぶんぶんと首を横に振った。
「なんにも。ただ、深いところって綺麗だなーって思って…じっと覗いて眺めてたら、かごめちゃんの悲鳴が急に聞こえた。顔上げたらかごめちゃんてば泣きそうな顔してこっち見てるんだもの、何があったのかって思ったよ。手なんて全然見なかったし。」
「実際、霊気の類もあまり感じませんよ。まあ海なんて水死者の霊が幾らかは必ず居るものですから、全くいないというわけじゃないですが…少なくともそんなたくさんの連中が寄り集まってるようには、とても。」
「見えないってか。ったく、わけわかんねぇな。これだから嫌いなんだよ幽霊は…叩っ斬れりゃあ早いのに」
「馬鹿っ!珊瑚ちゃんの命がかかってんのよ!!いい?ああいう、手が出る話の定番はその手に引きずり込まれて死んじゃうんだからね!?」
すさまじい勢いでそう言い切ったかごめの剣幕に犬夜叉が思わずすんませんと言った時、珊瑚が口を開いた。
「…大丈夫だって。ほらこの通り、なんともないだろ?これでも妖怪相手にいっつも闘ってるんだ、霊気ぐらい感じたらすぐ気付けるさ。」
にっこり微笑んだ珊瑚に、かごめは相変わらずしっくりこないといった感じの表情で、それでも言った。
「…とりあえず、泊まるとこ探しましょ。いい?珊瑚ちゃんはぜぇぇったい海に来ちゃ駄目よ、もう!!」
「は、はぁ……」
なんか、霊より何よりかごめちゃんが恐い。
珊瑚は小さく呟いた。
--------------------------------------------------------
幽霊シリーズ書いてみようと思って挫折した一作目<<最初じゃないか
管理人は一時期(小二、三辺り)怪談マニアだったのでオーソドックスな怪談話にはやたらめったら詳しいです。あれって、話の最初の書き出しで大体その後の展開読めますよ。慣れると。<<知るか
ちなみに最も確かな法則として、看護婦さん(あ、看護士か)に追いかけられたら間違いなくみんなトイレに駆け込みます。一番奥。そして三十分経ったら必ず安心して、そいで100%上を見て看護婦さんが覗き込んでるのを見て失神するのです<<だから知らないって