『かける言葉が見つからない』
























 「姉上―」

誰かが呼んでる。

「怖いよ、姉上―」

ああ、琥珀だ。まだ、小さい頃の――なんか大泣きしてるけど。



「何やってんの、ぴーぴー泣いて。」
「やだよ姉上、あの森、いつも父上たちだって色んなものがいるって言ってるくせにっ」

そうか、分かった。里で毎年、子供の実力試験代わりにやってた肝試しのときだ。初めての年にも、こんなふうに泣いてたっけ。

「肝試しだろ?大体、当の父上があの場所選んだんだからホントは大したことないんだよ、きっと。」
「やだ〜怖いぃ〜」

また泣く。ため息が出た。

「しょーがないな。じゃ、あたしついてってあげるよ。」
「ほんと?」

 涙に潤んだ、きょとんと丸い大きな瞳が見上げてくる。ふっと笑んで、

「ほんとだよ。いつだって、あたしが守ってあげるから。」
「…ほんとに?」
「はあ?ほんとだってば。あたしが――…」
「だって、」


いつの間にか彼は俯いていて、顔が見えなかった。ざく、と、鈍くて低い音が身体を劈く。かすかに手足が震えてくる。背中が酷く冷たくなって、その冷たさが少しずつ下ってきていた。



 ゆっくりと、左脇を見やる。




 琥珀の右手が鎌を握って、その先が、ゆっくり、ゆっくりと、彼女を背中から脇腹へと裂いていった。水のようにさらさら、さらさら血が流れ出る。

 上がった琥珀の顔は血が頬を涙みたいに伝って、口からもそれは溢れて。
 真っ黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。












 「だって、守ってくれなかったじゃないか。」











 血に濡れた笑顔を見たその瞬間、血が地に落ちるぱたぱたという軽い音がして、それから彼女の目は覚めた。
































 呼吸が酷く乱れていて、薄暗い室内では自分でもそれが酷く際立って聞こえる。こめかみを拭えば腕を伝って垂れるほどの汗。少し見つめて、袖に押し付けるように拭いた。それから周りを見渡す。
 目が覚めると同時に飛び起きてしまってはいたけれど、叫びもしなかったらしい。隣の少女も、仕切りの向こうの法師も半妖の少年も身動きせず横たわったままだった。
 少しずつ呼吸も落ち着いてくる。


 はっ。はっ。はっ。はぁっ。はっ。



 不意に、背中がぴりっと痛んだ。びくっと肩が引き攣る。



 はっ。はっ。はっ。はっ。はぁっ……。




 ゆっくりと手を伸ばす。背中を抱えるように、肩を抱くように。

「……痛た…。」


誰も聞いていない呟きは、消えそうに小さく、低かった。























 部屋を抜け出してみると、ちょうど空が白み始めた所だった。すぐにそばの山から太陽が顔を出し、珊瑚を照らす。その眩しさに思わず目を細め、それから縁側から草履を履いて庭に出た。
 名前も知らない村の名主の家だが、一応昨日のうちに大体の物の配置は覚えてある。角を曲がれば井戸が見えるはずだった。
 まだ残暑の季節、汗もあまり放っておくと気持ち悪いし身体に悪い。
 辿り着いた井戸でさっさと桶に水を汲み、ばしゃんと頭から被った。冷たい水が髪の隙間を縫って頭皮を伝い、そしてこめかみや目の間を流れて着物の内にまで入っていく。もう一度被るとすでに髪も肌も水に馴染んでいたから、あっさり上半身までずぶ濡れになった。

 夢の名残はもうほとんどない。あまり何回も見るものだから、後々までそれを反芻して苦しむのにも疲れてしまった。
 けれどそれでも身体は慣れてくれないらしくて、目覚めた後は汗で体中が冷たく濡れている。



 ぽたぽたと水の滴る髪を掻きあげた時、背後から声がした。
「あれ、寝汗仲間ですか?」
少し驚いて振り向くと、弥勒が笑顔で立っていた。…気配も無く近づくのはやめて欲しい。
「気配消すの、癖なの?」
「ああ、はい。悪い癖です」
にこにこ笑顔のままの彼を訝しく思いながら、
「…法師さまも、水、被りに来たんだ」
「いやー、私、結構汗かきでしてね」
言いながらてきぱきと水を汲んで片手でばっさと被り、それでも笑顔。

 なんとなく、嘘だ・と思った。

 「…あたし、もう戻るよ。」
「そうですか?じゃあかごめさまにタオル貸してもらうと良いですよ。…あ、あのふわふわした布のことです、タオルってのは。」
「ふうん…」
警戒は解けない。まだ、顔を知ってほんの少し。
 十数年も一緒に居た里のみんなを思えば、今あるこの人たちへの信頼なんて本当に僅かでしかなかった。







 背後で、また弥勒の水を被る音がするのが聞こえた。
 振り向かず、歩き続けた。


































 「……ねぇ」
「はい?」
「手がかり探すんじゃ、ないのっ!?」
「いや〜放っとくのも悪いじゃないですか」

笑顔ではぐらかされるとまた頭にくる。





 かごめたちとは別行動、弥勒と雲母と珊瑚だけ。
 けれど今は彼らの周りを、町娘が囲んでいた。








 「早く行こうよ。あたしは…」
「でも」
「早くっ!!」
言葉を遮り、乱暴に弥勒の腕を引っ張る。諦めたように弥勒は息をつくと、半ば引きずられながら町娘たちに手を振った。彼自身はだいぶあっさりしていたが、当の娘達は結構名残惜しそうであった。やっぱりむかむかしたので、ぎっと睨みつける。
 はは、と弥勒は苦笑を漏らすだけだった。
 その時、抗わずに素直に珊瑚に引っ張られていた弥勒が、急に何かに目を止めて、ぴたっと止まった。思いがけず強い力に反発され、珊瑚は少なからず驚きを顔に浮かべて弥勒を見る。弥勒はもうすっかり真っ直ぐ立っていたから、見上げる形。顔が見えない。
 「法師さま?どうし…」
「ちょっとね」
振り向かず少し見えただけの弥勒の顔は、真顔とまではいかないまでもさっきまでの笑顔とは全く違った。止める間もなく、そのまま小走りに通りの店と店の間の路地に入っていってしまう。首を傾げつつ後を追う。



 小さな女の子が居た。壁にもたれて座り込んで、何かを抱えて。
 泣いて、いる。








 「どうかしましたか?」
しゃがみ、目線を合わせて低く柔らかく問う。涙で真っ赤の丸い目が、少し弥勒を見た。
 腕の中には小さな茶色の、仔犬。
 「…動かないの」
「犬が?」
「昨日はちゃんとご飯も食べたの」
「飼っていたんですか?」
「懐いてくれたの」
「そうですか」
 少し寂しそうに目を細め、でも微笑を浮かべたまま左手でぽんぽんと女の子の頭をあやすように叩く。
「じゃあ、お墓を作ってあげましょう」
そっと静かに仔犬の死骸を抱き上げて、
「もう動いてはくれませんし、」
優しく、撫でた。
「それだけしか、出来ません。だけど、それだけは、してあげられます。」





 弾かれたように、少女が、声を上げて泣き出した。





























 まだ目の赤い少女に微笑んだままで小さく手を振って、夕暮れの河原をのんびり歩く。かごめ達との待ち合わせ場所ももうすぐだ。
 「結局、今日は…何も無かった、ですね」
「……そ、かな」
「お前にしてみればね」
そっと彼の顔をうかがう。弥勒は微笑っている。
「…そして、私にとっても。」
けど、と続けて、
「焦るのは分かるけれども…まだ早いよ」
 それからずいぶん長い間が空いた。言葉を求めるように目線が空を彷徨う。そこにはただ紅く焼けた空があるだけだった、けど。

「言いようが無いけれど…どんな言葉もお前には相応しくないとは思うけれど……でも、早いと思うんです」










 君には早い。
 君にはまだ出来ることがある。




 何を言ったところで、傷を抉るしか出来ないとしても。















 「…だから……ええと、ね。」
「…良く分かんないよ」
「……すみません、私もです。」
ぽりぽり頭を掻きつつ、気まずげににやっと微笑う。そんな弥勒の顔を少し眺めてそれから、
「…ねえ」
「はい?」
「今朝、汗かきだとか言ってたけど」
「……ええ。」
「嘘だろ」
 少し沈黙。
「…いやあ。ほんとに汗はよくかきますよー寝る時は」
「寝るときだけじゃ汗かきとは言わない。」
「……、そうですね。まあ。…でも、大体、浅い眠りで夢を見た後はべたべたですから」

弥勒はいつだって眠りが浅い。どんなに歩きつめた後でも、戦いの後でも。

「……じゃあ、いつもだ」
「…とも言えます。」
「…そう。」




 少し歩調を速めて、弥勒を抜いた。なんとなく、その背中さえ見ているのが嫌だったのだ。
 やっぱり、嘘だったんだな。ただの寝汗なんかじゃなくて、あれは、ほんとは。








 冷たくいつまでも身体に纏わりつく、夢の残滓。




























 ほんの少しだけれど、彼の事情も聞いてはいる。多分、怖い、と、思う。

 でも。







 「別に、あたしは、ずっと引きずるわけじゃない。」










 引きずるしか出来ないわけじゃないんだ。

 そんなの嫌だ。

 あたしは、あたしのこの手で、傷も抑えられない感情も皆の想いも全部、両手に抱えて持ち続けて、みせる。












 「やれることが、あるんだ。」






 真っ直ぐに前を見つめて、言った。

























 「……も…」
「え?」
 背後で弥勒が何か言った気がして、振り向く。何処か物憂げな弥勒の目と目が合った。
「…いえ」
一瞬、目を伏せて。
「なんでもありません」
笑顔になった。


 「……そう?」
「ええ」
 一度小首を傾げ、それから珊瑚はまた前に向き直った。風で、髪がなびく。











 その後ろ姿を一瞬眺めた後で、ほんの少しだけ右手に力を入れてもう一度、弥勒は呟いてみた。



 『俺が、少しだけでも背負えないんだろうか』。











 とてもとても強い彼女の背中を見ていると、時々、不意にそれが酷く苦しそうに見えて、どうにかしてやりたい・なんて想いが湧いたりする。それが同情なのかなんなのかは彼にとっても定かでは無かったけれど、時に、抑えようの無いほど強く溢れることがあった。今も、そう。


 でもすぐに思い直して、言うのをやめたんだ。人のものまで背負う余裕は無いから。











 なんとなく彼女が今朝も良い夢は見られずに飛び起きたのだろうとは分かったし、それは自分も一緒でだから何か言えるかもと思ったのだけれど、結局の所彼女と自分は違う。



 彼女の哀しみは彼女だけのもの、俺が共有することは有り得ない。
 そして他人としてそれを想えば、何も言葉をかけることは出来なくなった。








 何を言えばいい。何をすればいいだろう。

 どうも出来なくて迷っている自分が今がどうしてももどかしくて、思わず出しかけた言葉。
















 やっぱりもうかけ直すことは無いんだと思う。裏を生きる自分が裏を歩み始めた彼女の何かを背負う、なんて。
 闇の、塗り直しのようなもの。


 けれど。













 「珊瑚ー。」














 それでも、この、他のどの人よりその胸中が分かりやすく、それだけに何も言いようがない人に。















 「もう少し、ゆっくり歩きましょうよ。」
















 微笑いかけるくらいなら、出来るんじゃないか・と。
















 「……しょうがないな、もう」
「ほら、夕陽が綺麗ですよ」
「良いだろどうでも」
「人生余裕が大事です」
「……法師さま、言ってることが爺さんぽい」
「失敬な。」
「ごめん。……そうだね、」
















 間があって、瞳が少し細くなって煌めいてそして、


 「綺麗だね。」
















 彼女の唇が薄く笑ったその時、なんかに。


 思って、しまうのだった。





































 闇と闇。

 重なれば、闇しかない。けれど。





 二人、裏返り。



 裏と裏で、合わせて、表だ。















                                 ---------------End.
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 かなり初期設定の弥珊。初期の珊瑚って弥勒に冷たいー(笑) それもまぁ甘いのに慣れきった腐れファン(自分)からしてみるとなんか新鮮で面白いんですけど。という感じです(どんなだ)

 夢見たパートナーをもう片方が慰める・みたいなネタはどうにも苦手で普段あんまり見ないんですけど、このときはなんか気が向いたんですね。ていうか珊瑚の夢が書きたくて書いたみたいなもんで…(ぇ


 背景画像、相当やけくそで選んだ記憶があります; でもしばらくして冷静になってみてみると「あれコレ案外合ってんじゃねーの」と瓢箪からコマ気分でそのまんまです(いきあたりばったり)