『微かな記憶』
静かな、森の中だった。
霧のせいで視界はぼんやりしている。おまけに道は前の日に雨が降ったらしく、水溜りだらけ。
参ったな・と、ぼんやり思った。
確かに前にも横にも仲間がいるのだが、重くたちこめた霧がそれを時折疑わせる。その時、不意に前方から半ば怒鳴るような声がした。
「弥勒―、珊瑚―、ついてきてんのかー?」
「大丈夫ですよ、犬夜叉。珊瑚も雲母も、七宝もいます。」
実の所、霧やらぬかるんだ道やらが鬱陶しくて声を出すのも面倒な気分だったのだが、一応きちんと応えておく。
「あーあ、もう、湿気で服びしょびしょ。」
女の子らしい不満を口にしたのは、勿論かごめ。もう殆ど泥道と化した山道を、霧の中で濡れながら歩くなんて初めてだ。やっぱり人里に沿って行けば良かった…そうかごめは後悔した。まあ、後の祭ではあるが。
そんなかごめの横で犬夜叉は、霧にも泥にもお構いなし。ずんずん先に進む。さすがの珊瑚と弥勒も付いていくのは一苦労だ。
一刻も早く山小屋か何処か休みたい。その一心で一行はひたすら山道を歩いていたのである。
「あれ?」
ようやく道の半分を歩き通したとき、珊瑚が声をあげた。
「どうしたんです、珊瑚。」
霧の中だ、姿は良く見えない。ただ、輪郭のはっきりしない仲間の影のほうを向いて、声をかける。
「あそこ…子供がいるみたい」
どうやら珊瑚が言っているのは、道を逸れた急な斜面の下のようである。
「は?私には何も見えませんが…」
「こんな山ん中に人間のガキがいるわけねーだろ。とっとと行くぞ!」
恐らく犬夜叉は疲れた様子のかごめを休ませてやりたい一心で言っているのだろうが、珊瑚も納得できない。
「そんなことないよ、すごくはっきり見えるもの。声かけてくる!」
この娘、言い出したら聞かない性格である。言うが早いが山の斜面を下り始めた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい珊瑚っ!お前、その子供がはっきり見えるのか?」
「そうだけど?ほら、あの木の下に――…」
「何でこんな霧の中で、遠くに居る者の姿がはっきり見えるんだ!」
「え」
法師の言葉を理解するまえに、珊瑚の足に何かが巻きついた。
下を見る。そこには…さっき確かに離れた場所に居たはずの、あの少女。妙に伸びた白っぽい腕がぐるぐると巻きつくようにして、珊瑚の足をしっかりとつかんで離さない。邪念に満ちた笑みが顔いっぱいに広がる。
――…悪寒がした。
刹那、到底子供とは思えない力でぐんと足が引っ張られる。
「っ……!」
霧と前日の雨をたっぷりと吸い込んだ土は柔らかく、もろかった。足を掛けていた土の窪みは弾みでいとも簡単に崩れる。空と地面が、廻った。
「珊瑚!?」
「珊瑚ちゃんっ!」
かごめの声の後には、なにも聞こえなかった。
―――水の音。
最初に聞こえたのは、微かな澄んだ水音だった。さらさら、さらさらと淀むことなく流れ行く水の音。綺麗な音だ――ろくに働かない頭で考えた。
――…ご………さ…ご…
なんだろう?水の音以外の音も聞こえる。何か、とても聞き慣れた音。これは……
「―――…珊瑚っ!!」
……法師さまか?
「珊瑚!しっかりなさい!」
「珊瑚ちゃん、大丈夫!?」
目を開けて最初に見えたのは、心配そうに覗き込むかごめと、その横で珍しく真面目な顔をしてこちらを見ている法師。
「……、大丈夫…だけど……ごめん。油断した」
起き上がろうとすると、ずきん・と鋭い痛みが頭を刺した。どうやらどこかで打ったらしい。触ると手が血で濡れた。少し視点をずらせば、近くに転がっている石に広がる派手な血の跡が見える。落ちた勢いのままその石にぶつかったのだろう。よく生きていたものだ・と自分で勝手に感心する。
よくよく周りを見てみると、そこは川原だった。小さくて気付かなかったが、先ほどの斜面の下には実は川が延々と流れていたらしい。前日の雨にも関わらず、水は全く濁っていなかった。ただ静かに、冷たい水を運んでいる。
かごめが渡してくれた“たおる”とかいう布を傷に当てる。かなり出血しているようで、みるみる白い繊維が血に染まった。少しばかり沈鬱な表情の珊瑚に、かごめが口を開く。
「落ち込むようなことじゃないよ、幽霊なんて珊瑚ちゃんの専門分野じゃないもの…あっ、珊瑚ちゃん、額も切れてる」
「ああ、ほんとだ。…幽霊って?」
「弥勒さまが教えてくれたの。ちょっと前から霊気は感じてたらしいけど、まさか他の誰かにも見えるとは思わなかったから言わなかったって。そりゃそうよね、この中で霊関係に通じてるのなんて弥勒様くらいしかいないんだから。犬夜叉も鈍いしな――」
珊瑚ちゃんは妖怪専門だし、あたしは例え見えて何かされても犬夜叉がついてるでしょ、と付け加えた。
よくよく考えてみれば、法師の言うとおりあの状況で普通の子供がはっきりと見えるはずはないのだ。そのことに自分で気付くべきだった。己の油断を悔やむ。
相変わらず沈んだ顔の珊瑚に、呆れたような顔でふうと息をついて、弥勒も重ねる。
「ちゃんと除霊しておきましたから、また悪さをする事はないでしょう。元々、最初から悪いものだったわけじゃないんですし……とにかく、これからああいうことには気をつけなさい。」
言いながら、立ち上る弥勒。だが、その言葉を聞いて法師を見たとき、珊瑚は僅かな昔の記憶がちらついて少し考え込んでいた。
――前にも、こんなことあったような気がする――……
それは、今の珊瑚にとっては遠い遠い夢の中のような頃のこと。
まだ父親も里の人々も生きていた。琥珀は一人歩きもやっとできたばかりの頃だ。
「父上ーっ、あっちに川がある!!」
「そうか。じゃあ珊瑚、しばらく辺りで遊んでおいで。私は川で調べる事がある」
「分かった、じゃああっちに行ってるよ」
勇んで斜面を駆け上がる。まだ八つにもなっていない幼い珊瑚は、妖怪退治にしてもようやく一匹二匹なら自分で退治できるようになったばかりという程度だ。当然、経験も浅かった。
ただ木々の間を駆け回る。狭い間隔の間を縫ったり、枝から枝につたって木に登って他の木へと移ったり。持ち前の運動神経と退治屋としての訓練が可能とさせたそれらの遊びは、暇をつぶすには十分だった。
その時だ。自らが登って一休みしていた木の根元に、涙を流している小さな少女の姿を目にしたのは。
自分と同じ位の年の小さな女の子。それが今、目の前で泣いている。
声をかけないわけがなかった。
「ねえ、どうしたの?」
「……」
返事はない。ただ、ただひっくひっくとしゃくりあげながら、泣き続ける。
「待ってて、今降りるから…」
「…一緒に……」
低く、小さく呟かれた言葉。だが、はっきりと珊瑚の耳に聞こえた。
「え?一緒って――…」
「…一緒に、来てくれる?」
「……はぁ?」
その言葉の意味も理解できないまま、珊瑚は木から降りていた。正確には、引きずり下ろされた・だが。
「わっ……!!」
珊瑚の居た木は、かなり高いものだった。七メートルほど上から、まっさかさまだ。最後に見えたのは、白い腕を明らかにこの世のものではない長さにまで伸ばして自分の足を掴んでいる少女と、もう一人――…黒い着物に紫の袈裟をまとった、少年だった。
頬に冷たい感触が触れて、ふと意識が舞い戻った。
ほんの少しの木漏れ日さえも眩しくて、少し鬱陶しい。
「……?」
やっと慣れてきた目に飛び込んできたのは、初めて見る少年の顔。頬に感じた冷たさは、濡らした白い布だった。
「大丈夫ですか?」
どう見たって十歳かそれくらいの子供なのに、妙に落ち着いた声を出す。なんだか、不思議な感じだった。
「…えっと……、」
「僅かばかり霊気を感じ取って来てみれば、貴方様がまさにに落ちようとしていた所でしたので。特に怪我はないと思いますが、どうです。どこか痛みなどはありますか?」
さらさらと淀みなく言う少年に、珊瑚は何も言えない。ただ、小さく横に首を振った。
「そうですか、それは良かった。」
それだけ言うと、少年は珊瑚の横に座ったまま黙ってしまった。沈黙に耐えかねた珊瑚がおずおずと口を開く。
「あの…あなた、だれ?名前、なんていうの?」
すると少年は、それは鮮やかににこりと笑って言う。
「名は弥勒、一応法師として旅を続けている者です。まあ、目的は色々とありますが、ね」
「ほーし?あー、坊さんみたいなもんか。弥勒さんってそんな偉いもんなの?」
「偉くなんかありませんよ。まあ、世間では仏の道を歩んでいると言うとすぐに偉いものだと思われる節がありますが…」
「ふうん。そうだよね、あたしよりほんの二つか三つ年上なだけだろ?それですごい人だって言ったらちょっと疑っちゃう」
はは、と笑いながら、少年が言葉を継ぐ。
「それより、お前はなんと言うんです?」
いつの間にか“あなた”から“お前”に変わっていたが、あまり気にはならなかった。
「珊瑚。父上が帰って来るまで、この森で遊んで待ってるように言われたんだけど、ちょっと遊び疲れてさ。一休みしてたら女の子が見えて…、えーっとなんだっけ、“一緒に来てくれる?”とか言われたと思ったら、体が宙に浮いてたよ。なんだったんだろ、あの子」
「分かりませんでした?」
「え?」
きょとんとした珊瑚に、少年は少しばかり真面目な顔つきをした。
「“一緒に来てくれるか”というのは、一緒にあの世に来てくださいということです。つまり、おまえを道連れにしようとしたんですよ。あの世のね」
「…あ。そっか……」
言われてみれば簡単なことである。たしかに、意識の飛ぶ前に見たあの少女の姿は、どう見てもこの世のものではなかった。
あの子は、あたしを殺そうとしたんだ。
やっと分かった。でも……
「……でも、あの子の目はそんなんじゃなくって、なくて…」
少しの間言葉を探してみる。だけど、そんないくつも選択肢を思いつけるほど、珊瑚の知っていることは多くなかった。
「…、もっと、哀しい感じがしたよ…?」
やっと言えたことに、しかし珊瑚の思いは込められている。
あの目に溢れていたのは悪意なんかじゃなくて、もっと寂しげな、憂いに満ちた光だった。…それが、どうしても引っかかる。
ほんの少し戸惑ったような悲しいような光を宿し、微かに潤んだ瞳で見つめてくる珊瑚の言葉に、ゆっくりと弥勒は答えた。
「…根っから悪いものなんて、この世にはないんですよ」
「え?」
「あるのは、身を守るために自らねじ曲げて歪んだ者と、ねじ曲げられた者……それだけ」
口調がそれまでより格段に重い。
もしかして、自分とどこか重ねているのかな…?
珊瑚は、少し聞いてみたくなった。
「…ねえ。弥勒さんは、どっちなの?」
しばらくの沈黙。そして答えは、
「……自ら、です。」
また、沈黙が流れた。
それを破ったのは、珊瑚。
「あ――――――っ!!父上のこと忘れてたっ!じゃああたしもう行くよ、助けてくれてありがとーっ!!」
「え゛…」
「じゃあねーっ!!」
言うが早いが、駆けて行ってしまう。
再びしんと静まり返った森の中、ふう、とため息が小さく響いた。
「よく動きそうな子だとは思ったが…ホントに速いな」
ちょっと惜しいことをしたか。こんな事なら、とっとと言うこと言っときゃ良かったな。わりと可愛い顔してたし、予約ぐらいは…
と、そんなことを考えながら、うまい具合に手の中へと落ちてきた濡れ布きんをそっと握ってみた。
少女のぬくもりが未だに残り、僅かに生ぬるい。
「…ま、いいか。」
少年は立ち上がった。
次の日には、二人の少年少女はお互いの日常に戻っていた。
数年後の再会も知らず、そんな些細な出来事など綺麗に忘れて。
「珊瑚ちゃん、立てる?」
「うん、全然平気。ありがと、心配してくれて」
「おうコラ珊瑚、てめえ腑抜けてんじゃねえぞ…って、うげっ!!」
犬夜叉の悪態を強制的に止めたのは、当然弥勒。
「犬夜叉、女子には優しくなさい」
「じゃ、行こっか。ほらー犬夜叉も、お腹蹴られたくらいで伸びてちゃだめよ!」
「うるせーっ!!こら弥勒、てめェなあ!!」
「だが弥勒の言うことにも一理あるぞ。のう、雲母」
みい、と返事をする小さな獣。そして、一行の旅は再び始まる。
一度出会って一度別れて、また今度は同じような境遇となって出会った二人。
埋もれた記憶が再び蘇る日は、たぶん来ないだろう。
-----------------------------End.
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もう読み返すのがほとんど拷問ですね(ぇ
あちこち文章が若いったら…ていうかネタ自体がありがちなんだかなんなんだか。まぁぶっちゃけ有り得ないですよね。なんでこんな話思いついちゃったのかしら(まぁ他にも有り得ない話は山ほどあるんですが(言うなって))
あっちこっち加筆修正しすぎてわけ分かんないです。多分初期に読んだ方が改めて読むとむしろ別物っぽくなってると思います(駄目じゃないのそれ?)