『もういちど。』 あいだのはなし。
「!」
先客。
それは、今、一番会いたくない人だった。
でも。
「…珊瑚。」
控えめに呼んでみる。思いのほかゆっくりと、相手は振り向いた。昼間の鋭さの無い、穏やかな顔。隣に飛来骨を置いてはいたが、それを握る気配は無かった。
「…法師さま、動けるの?」
「お前こそ。」
「昼間あれだけ動けたもの、これくらいわけないさ。」
「そうですか…」
それきり黙って立ち尽くす彼に、珊瑚はふっと呟いた。
「あのさ、法師さま。あたし……あの、ごめん。」
「はぁ?」
唐突なその言葉に、ついいつもの調子で間抜けた声を出した。じっと見つめる。
相手は膝を抱えるようにして、そして目を閉じそうに細めていた。
「解ってるけど。解ってたけど。だけど、ごめんなさい。」
「…何が」
「解ってるんだけどね、だけど、…怖いんだ。」
すっ、と、短く息を吸う。
「怖い。いくら頭で違うって解ってても。このままじゃほんとに一番こわいことになるって解ってても…怖い。だから、」
きゅっと目を閉じて、抱えた膝に頭を落として。
「…ごめんね。」
「……珊、瑚。」
結局「怖い」ことと「ごめん」としか言っていないじゃないか・と内心苦笑しながら、小さく名を呼ぶ。そして一歩近寄ると、相手はやっぱり一瞬身体を震わせた。
けれど視線は真っ直ぐこちらへ合わせて。
「……何?」
「私もね、同じです。」
いつもそうするようにきょとんと目を丸くした彼女に、自分もいつもそうするようににっこり微笑む。一歩一歩、近づいていく。
「私も、解ってはいるんですよ。解ってるんだけど、でも、やっぱり駄目だ。……怖くて…誰かと一緒に居ると、頭のどこかが悲鳴を上げる」
「……」
弥勒の言葉で少し哀しそうにきゅっと顔を歪めた珊瑚に、やはり微笑んだまま、続けた。
「でも、だからね、珊瑚。」
ゆっくりしゃがみ、視線の高さを合わせる。錫杖の輪が軽く鳴り合った。
「やり直しましょ。最初から」
「…え?」
珊瑚はますます解らないという表情だったが、あまり構わず、
「一度崩れたものは戻らない・って言いますけど、確かにそうだろうけど、でも、一回目よりは積み上げやすいはずでしょう?」
錫杖を握り締めたままの右手を動かそうとして、しかし頭が動かしたくないようでぴくっと少し痙攣しただけだった。一度、力いっぱい拳を握りしめ、緊張を解く。
「根本は崩れてないんですから。きっと、少しずつでも慣れていけば、あっという間に前と変わらなくなりますよ。」
やっと動いた手をゆっくりゆっくり差し伸べて、ほんの少しだけ彼女の頬に触れた。怪我の所為か血の気の引いたそれはしかし温かい。
触れられた瞬間は少し震えた珊瑚も、すぐ口元に少し笑みを浮かべた。心なしか泣きそうで、けれど、昨日までとあまり変わらないように思えた。
「…もしかしたら、もっと、良くなるかも」
「え?……、…ああ…そうですね。最初から少し残ってるところにまた新しく積むんですから、もしかすると、前より強くなるかも知れませんね」
「うん。強く、なれるよ。きっと。」
心臓は、昨日までと同じように規則正しく、そして少し早く波打った。
さっきまでは頬を、今は自分の手を触れているその温度が懐かしくて嬉しくて。
いやむしろ、今ある全てが、今ここに在る優しい全てのもの、が。
これ以上ないくらいに幸せで、大切なような、気がした。
「強くなれたら、良いなぁ。」
つぶやくと、独り言のつもりだったのに弥勒も微笑んで、
「ええ、きっと。」
少し黙る。それから、
「……うん。」
微笑って、言った。
長い静寂が始まって、それから不意に手が離れた。ちょうど同じ時、珊瑚も気付いた。
「私が受け手でいきますよ」
「…分かった、ありがと」
立ち上がりざまに弥勒が低く小声で言ったその言葉に、珊瑚もやはり低く言った。
「面倒、だな」
呟いたが、そんなことも言っていられない。場所が分からないことにはこちらも何も出来ない。念のためと持ってきた飛来骨を、まさかこんな形で使うとは・などと思いながらも握り締める。
さて、上手く手加減出来るだろうか。
手傷の所為で手元が狂わないとも限らない。
「…いや、大丈夫」
短く言い捨て、首を横に何度か軽く振った。
大丈夫だ。
今なら、きっと。
きっと前を見据え、そして珊瑚は飛来骨を差し当たり弥勒には当たらなそうな庭の植木に向かって投げた。
轟音が、悪い夢の幕締めの予兆のように鳴り響く。
----------------To Be continued!
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