『しあわせ』
めんどくさ。
正直な感想はそれだった。
森をぶらぶら歩いていただけだったのに、なんでこんな目に遭わなければならないのだろう、などという取りとめもない愚痴を心の中で呟きつつ、目の前のどこの誰とも知らない男を鬱陶しげに見やった。
いちいち聞き取るのも面倒なような口説き文句をやたら一生懸命吐いているようだが、とりあえず無視のために頭の中は新しい仲間のことで満たしておくことにする。
そしてこれまた正直に言ってしまえば、どいつもこいつもいまいち信用ならない、といったところだった。唯一かごめとかいう可愛い少女はなぜか側にいると安心できたりしたが、他の人々、特にあの法師はどうにも苦手だった。
何を考えてるのかまるで分からない。からから明るく笑っていたかと思えば日が暮れるまでぼうっと何かしら考え込んだり、だけど話しかけたらころりと表情が変わる。人懐こい笑みを浮かべて喋りかけてきたと思ったら急に面倒くさそうになってさっさとどこかへ一人で消えてしまったり、とにかくわけが分からない。もしかしたらあの半妖より支離滅裂と言ってもいいかもしれなかった。
ああ、そういえばあの人はどうしたろう。
さっきもいなかった気がするが、
何をしてるんだろうか。
どうでもいい、ことだけど。
「オイ、何か一言くらい言ってくれてもいいんじゃねーか?」
いささか不機嫌そうな言葉にはっと前を見ると、未だに男が立っていた。
ああ、面倒くさい。
これだからきらいなんだ、男なんて。
こっそり愚痴りつつ、どうにか軽く流そうとする。
「…ごめん、人が待ってるから。」
「嘘つけよ、さっきからずーっとヒマそうにここにいたくせに。」
見てたのかよ。
心の中でちょっと男の口調を真似したりしてツッコむ。ああ、本当に面倒だ。
「…、あのさ……」
「おや、珊瑚。」
突然、聞き慣れ始めたばかりの声が割って入って、珊瑚は思わず振り向いた。
同じく、見慣れ始めたばかりの、紫色。
「何してんですか。珊瑚も意外と隅に置けませんなあ」
「さらっと失礼だよね、あんた」
「あ、すいません。」
軽いやり取りの合間、弥勒の双眸が一瞬男を捉えた。だがそれは本当に一瞬で、すぐににっこりと柔らかい笑みがその冷たかった光を覆い隠す。
「…すみません。この者は連れですので……ま、残念でした・ってコトで失礼いたします」
「オイ待て坊さん、てめえ……」
あまりに単刀直入な弥勒の断りに幾らか気分を害したらしく、男の声が荒れた。珊瑚もわずかに慌てる。
ちょっとは相手の反応くらい考えりゃいいのに。
「あ、あの……」
「珊瑚。」
取り繕おうとした珊瑚をやんわりと止め、そしてすっと一歩踏み出した。男の肩口を掴み、耳元へ口を寄せる。二言三言、何やら囁いた。
瞬間、男の血の気が失せる。
「すっ、すいませんでしたっ!!」
猛スピードで町のほうへと走り去ってしまった。珊瑚はしばし唖然とし、そしてようやっと訊ねる。
「……何、言ったの?」
法師なんだし、多分女にかまけてると仏さまに怒られるとかそんなことだと思うけど。
そんな珊瑚のうっすらとした予想は、かなり外れた。いや、ある意味当たっていないこともない。
「んー?簡単ですよ。人の女に手ェ出してっと木に逆さ吊るしして袋にした後で人喰い狸の巣ん中放り込むぞ、みたいなことをさらさらーっと。あ、それから私は坊さんで無く法師ですとも付け加えましたかね」
「……、あ、そう。」
ちなみに人喰い狸=ハチ。
「…別にそんなことしなくたってあたし一人でも追い払えたのに……」
ぼそっとつぶやいたが、弥勒は他の者たちに比べても事のほか耳ざとかった。
「いや〜お前は無理だったと思いますよ?」
ケタケタ笑いながら言われるとさすがに腹が立つ。半ばムキになって、
「何さ。あたしだって退治屋として色んな土地の人たちと商談したりして話術もそれなりに鍛えてるし、喧嘩ならあんただって知って……」
「じゃ、なくてですねぇ。男の扱い方知らないでしょってことで……えーと」
珊瑚の言葉を遮り、少し逡巡したのち、にや・と笑った。ぴんと人差し指を立て、それをそのまま珊瑚の胸元、左右の鎖骨のちょうど中間辺りにとんと付き立てる。
「……お前、男と付き合ったことも色恋に興味持ったことも無いでしょう。」
ずばっと言われたその言葉は真実のど真ん中を射ており、珊瑚は頬を少し薄紅色にして言葉に詰まった。
「図星ですね」
「…五月蝿い」
すると弥勒はますます愉快そうに哂う。そして珊瑚はますます怒る。
「何よっ、文句あ…」
「もしかして手ぇつないだこともなかったりして。」
「……っ」
そろそろ、言い返せないのも癪に障ってきていた。
ちくしょうとにかく返してやる。
「馬鹿にするなっ、それぐらいあるっ!!」
組み手で腕引っつかんで突き倒しただけだけど。
心の中だけで付け足す。
「へぇ〜。んじゃ、抱き締めたりは?」
「っ…あるよ!!」
組み手で腰帯つかんで投げ飛ばしただけだけど。
やっぱり心の中だけで付け足した。
ちなみに組み手の結果として、対戦相手は漏れなく打ち身なり骨のヒビなりと怪我を負っている。
「…ふぅん。ちょっと意外、ですかな」
「ぅるっさい!」
そして顔を赤くして拳は握り締めた珊瑚を少し見つめた後、弥勒は急に興味の失せたようにくるりと踵を返した。
「え?ちょっと、どこ行……」
「あー…森の中でも散歩しようかなー、と。珊瑚は戻っておきなさい、また面倒な奴にからまれても今度は知りませんよ。」
まるでさっきはたまたま気が向いただけだから、とでも言っているようで、それがまた珊瑚には癪に障った。歩き出しかけた弥勒の背中を掴み、ぐいと引き戻す。
「何だよそれ、大体もう夕暮れだってのに、なんで森なんか行くのさ!」
「なんで、って……」
そうして弥勒は黙り、珊瑚をちらっと見た。その表情は困惑していると言うよりはかなり面倒くさそうで、なぜか人に冷たいものを感じさせる。
だがその表情は一瞬でありふれた普通の笑顔に覆われてしまった。
「…別にどうというわけでもないですよ。珊瑚だって、さっきどうしてここにつっ立ってたのかと聞かれたら困るでしょう」
それは確かにそうだけど。
むっと口をつぐみただ睨むしかなくなった珊瑚をもう一度見つめ、そしてため息。
「ね、放して下さい。」
「……やだ。」
小さくだがはっきりと言った珊瑚を、弥勒はまだ言うのかといった風に顔をしかめて見た。
「…あのね、珊瑚……」
「法師さまって、何考えてんだかちっとも分かんない。」
ふとつぶやかれた言葉がそれまでの調子からがらりと変わったのに気付く。表情は、見えなかった。
「だけどそれは誰にだって言えることで、かごめちゃんだって犬夜叉だって七宝だって、分かりやすいと思ってるだけでほんとはあたしはなんにも解ってないのかも知れない。それに、解りにくくたって法師さまもちゃんとしたあたしの仲間なんだよ。あたし、正直言ったら法師さまのこと苦手だけど、でも、仲間なんだ。本当に信頼し切ることは、まだ、出来てないけど……」
うつむかせていた顔をあげて、
「…だけど、仲間が死ぬのは、誰かがいなくなるのは、」
袈裟を掴む手の力をぎゅうっと強めて、
「………誰だろうと、もう、いやだ。」
向けられた視線はどこまでも真剣だった。
でもそれに応えることは出来なくて、
弥勒はただ、目を逸らすだけだった。
身の上ならいつでも恨んでいる。
神仏など信じても極楽浄土も何も無いことぐらい知っている。
だからこそ、誰かの願いを聞くのも誰かが近くにいるのも嫌だった。
知らなくてもいいこと、それから、知ってもどうしようも無いこと。周りの“普通”の人々は、嫌でもそういうものを必ず持って近づいてくる。
だから、今の自分のこの状況は、本当は死ぬほど怖い。
嫌われて疎まれて独りになって、それで初めて自分の存在は認められるはずなのに・と。
――なのに、俺は何をやっている。
珊瑚の言葉に答えもせず、自分を掴む手をやんわりとほどき、放す。
何か言えそうな気もしたが、言う気はしなくていつも通りごまかすことにした。彼女の耳元に口を寄せて、
「…今ここで、上手な男のあしらい方教えてあげましょうか。」
瞬間、珊瑚の頬が上気してすうっと息を吸い込む音が聞こえて、
「っっ馬鹿――っ!!」
「……。」
まさか鳩尾に全力の蹴りが来るとは思ってもみず、弥勒はその場に腹を抱えてしゃがみこんだ。
「…さ、珊瑚、良い蹴りで……」
「森にでもどこへでも行けば!!」
そうして珊瑚はすたすた宿へと歩いていく。
人が去るときの後ろ姿はいつでも見るのは淋しくて、だがそれが無ければ生きていけないと思っていた。
そして今、後ろ姿を見て、やっぱりほっとしている自分がいた。
でも、こんなもの無ければ良かったのに、とも思った。
どーせすぐに会うのになあ。
一人ごちて、そして弥勒は立ち上がった。
「ちょっと、法師さまぁ。」
「はいー?」
草の上に仰向けになったまま、閉じていた目を開けるとそこには自分を覗き込む少女の顔があった。
「いつまで寝てるのさ。」
「日が暮れるまで。」
即答した弥勒を、本気かこいつ、みたいな目で見る。出会って数月、やはりこの人は良く解らない。
ときどきぼーっとするのは相変わらずだしころころ態度が変わるのもあまり改善されていないのだが、それでも少しは進歩するものだ。
最近、あとを付いていってもあまり嫌な顔をしなくなった。
あの時などは心底嫌そうにしていたのに。
ああ、それに最近、変な笑い方をあまりしなくなった気がする。万人向けの無料スマイル、そこに感情が在るのか無いのか誰も知らない笑い方。多分それは本当は無い方がいいはずのもので、少なくなってきたのはとても嬉しいと思えた。
「ねぇ法師さま、だけどかごめちゃんたち待ってるかも知れな……」
「珊瑚お前、ずっと前に、手繋いだ事も抱きしめた事もあるとか言ってませんでしたっけ。」
人の言葉を遠慮なく切るのも相変わらずだ、と少し腹を立てながらも、そういえばそんなこと言っちゃったっけかなとしばし回想。本当はあの時弥勒の言ったとおり手を繋いだこともましてや抱き合ったことなんて考えたことすらなかったので、…今さら真実を言うのも嫌な気がしたが、
「うん、まあ、言った。だけどそれ、単に組み手で…」
とまで言いかけて、弥勒の手がこちらに伸びてくるのに気付いて口をつぐんだ。
「何、法師さ……」
呼ぶまでもなく、伸ばされた手が自分の肩をぎゅっと掴んで、気が付いたら引き倒されて弥勒の下。
何考えてるんだホントにこの人は。
そんなことがふっと頭をよぎったがそんな場合ではない。
「ちょっと……っ」
言いかけるが、ぼすっと弥勒の頭が自分の真横に落ちてきて、その腕は自分を強く締め付けて。当たり前みたいに動悸が激しくなった。
だが同時に、頭の中だけすうっと冷める。
「……なんか、不満?」
すると答が返ってきた。酷く空ろな声。
「…なんか、すごく、不満。」
「どうして。」
「……どうして、でしょうか…」
そしてぼそっと、やっぱり珊瑚はそう言ってたよなーと思ったら酷く苛ついてきた、と付け加えた。
「…前に言った時とはえらく違う反応するもんだね。」
「そうですかねえ…」
「あのときは心底どうでも良さそうにさっさとどっか行こうとしたくせに。」
「はあ。」
状況は今までに無いほど危ない(気がする)のに、なんでここまで無気力なやりとりが続くのだろう。
他人事のように思った後、
「…もう良くない?」
「え?」
「離れてよ。」
「……嫌です。」
前とは立場が逆だ。
「なんで。」
「…なんか、嫌。」
しかも理由が特にない分、こちらの方がたちが悪いと思う。
「なんかってあんた……」
ふうっと息をつき、
「…言っとくけどね、手ぇ繋いだだのなんだのっつったって、単に組み手やっただけなんだから。」
「は?」
「だから、組み手。悪く言えば取っ組み合いの喧嘩。」
上半身だけ起こし、下にある珊瑚の顔をじっと見つめる。そのまま少し経った後、
「………なぁんだ。」
ぽつりと呟き、そして再び倒れこんだ。てっきり離れてくれるものとばかり思っていた珊瑚は慌てる。
「ちょ、ちょっと、なんでまた元通りに……」
「…なんかほっとしたんですけど、なんでほっとしてんでしょうか、自分…」
「知るかっ!」
せめていつものようにからかうような笑いでも浮かべてくれればやりやすいのに、どうにも無気力でどうすればいいのだか解らない。
なんだろう、最近のやたら落ち着いた弥勒と昔のふらふらした弥勒を混ぜたみたいな、妙な感覚。
もしかしたらこれこそ今現在の弥勒の姿なのかもしれないけれど、
「…っ、だからって、こんなの困るっ!」
恥ずかしいしどきどきするしなんだかあったかくってしあわせな気もするけどだけどでもとにかくっ、
困る。
「ちょっと、法師さまってば…」
「ふぁ――…ねぇ珊瑚ー……」
ずっと珊瑚の首筋に顔を埋めたまま黙っていた弥勒が、すーっと思いっきり息を吸って吐いて、そして珊瑚と地面の間に回していた腕の力をぎゅうっと強めた。
そのあと満面の笑みを浮かべて、
「なぁんか、しあわせ。」
願いなんか聞けない。
聞いてもどうしようもないことなんてまだまだたくさん。減ってなんか、無い。
だから前は怖かったのだけど、でも今はなんでだろう、無い方が怖いんだ。
誰かがいることが。
あなたがいることが。
嬉しくてしょうがない。在って、あたりまえ。
あなたといるとどうしてか、知ってもどうしようもないことも知りたくて訊きたくなる。
嫌われたくも疎まれたくも独りになりたくもない。
そうならなくたって、あなたがいれば自分はいるんだ。居ても良い、きっと。
怖かったこととか淋しかったこととかぜんぶひっくるめて、気持ちのどこかで何かあったかいものに変えてしまおう。あなたといれば、放っておいても変わるから。
そう、あなたといるとなんだかあったかくってなんだか優しくて、
なぁんか、しあわせ。
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何 このすげぇポケポケした弥勒…(汗)
書いた本人もびっくりなポケ具合。なんかほとんど…「まもって守護月天!」のシャオですよ(よりによってシャオ(女な上に従順系ヒロインじゃないか…))
間にぽつぽつ入る独白だけはえらいお気に入りです。ちなみに今この設定で書こうとしたら多分弥勒さんは幸せ実感してる場合じゃなくなると思います。襲わないよーに理性働かせるので精一杯だと思います
だって珊瑚可愛いから(もう黙れお前)
これも背景画像お気に入りです。使ってみたくてたまらなくて無理矢理使っちゃったんで話の背景としてはそんな合わないかなーとも思うんですけど(汗