サクラ サクマデ









 枯れ葉が、頬を撫でた。
「もう秋も暮れるんだなあ………。」
はためくセーラー服の襟を押さえて空を見上げる。見渡す限り真っ青な秋の寒空が、広がっていた。

     “っっっぱ―――――んっ!!”
小屋に入ろうと引き戸に手をあてたかごめの耳を、なんともタイミング良くつんざく乾いた音が、一つ。
「…なっ…………なに……………?」
目を丸くしていると、バンッ!と凄まじい音を立てて引き戸が開いた。中から出てきたのは、馴染みのある漆黒の髪と紅白の小袖。みるからに怒り狂いながら、肩を怒らせかごめには目もくれずにずんずんと去っていった。
「あ〜………なーるほどお………………。」
それだけで、何が起こったかは見当がついた。
 中に入ってみればやはり、そこには頬を赤く腫らした法師と、真紅の衣に身を包んだ怯えて耳を伏せた半妖の姿。
 「また珊瑚ちゃんになんかやったんだ、弥勒さま………。」
返事の代わりにははは、と力無く笑うと、思いっきり深く溜め息をついた。かごめも同じように溜め息をつくと、採ってきた薬草を入れた籠を板間に置いた。
 「………で?今日は何やったの?」
といっても、大体予想はつくのだが。
「イヤ、珊瑚と他愛もない会話をしておりましたところ、途中であちらの方が私の普段の行いについて色々と文句をつけてきましてな。それでまあ、私は何もむやみに女性方に声をかけているのではありません、例えば最近はそっちは控えてお前に付きっきりでしょう、と言いながらほんのちょっとばかり手を回したら………この有様でして。」
………………馬鹿だ。かごめは心底あきれた。
馬鹿としか言いようがない。何故にこの人は懲りもせずそういうことをするのだろう?
「…あのねえ弥勒さま、そんなことしたらどうなるかぐらい、予想つくでしょ?」
「そーですかあ?まあいいんですけどねえ、やっぱり珊瑚はあれくらい強気じゃないとこっちも調子狂っちゃいますしー。」
…あれ?
なぜだか違和感を覚えた。なんだかこの法師は殴られることを心底楽しんでいるように見える。
どういう事だろう。素朴な疑問が………いや、前々から気になっていたことが、口からついて出た。
「ねー弥勒さま。弥勒さまってさあ、珊瑚ちゃんのことどう思ってるの?」
「………は?」
「だーかーら、珊瑚ちゃんのことどう思ってるのって聞いてるの!」
「どう………と、言いますと………。」
「決まってるでしょ、好きなの、そうでないの!!どっち!??」
ほんの少しの間が空いた。犬夜叉が、何を言い出すのかと目を丸くしている。
「………そりゃあ………ただの仲間でしょう。願いを共にする同志。好きとか嫌いとか、そういう問題じゃありませんよ。」
気のせい程度に戸惑いながらも、にっこりと笑顔を作る。かごめはなんだか誤魔化された気分になった。
「ふうん…まあいいけど、珊瑚ちゃんの機嫌は直してあげてよね。仲間なんでしょ?だったら怒らせたりしちゃ駄目よ!」
 ぽん、と背中を押され、はあ、と生返事をしながら小屋から出た。手に持つ錫杖がしゃらりと鳴る。どこか頼りなげな足取りで、法師の姿は遠ざかっていった。
「大丈夫かなあ…弥勒さま。」
かごめの漏らした言葉に向かって、訝しげに犬夜叉が問い返す。
「はー?この辺なんか大した妖怪もいねーし、大体あの弥勒なんだから平気だろ。」
「違うのよっ!そうじゃなくて………。」
きょとんと首を傾げる犬夜叉をちらと見てから、また法師の消えた方向に視線を戻す。
「……そうじゃなくて………なんか、弥勒さまの目が一瞬虚ろになっちゃったような気がして……それだけ。気のせいかもしれないけど…。」
「けっ、気のせいに決まってんだろ、そんなもん。それよりその薬草、楓ばばあに届けたほうがいいんじゃねーのか?」
「…そうね。」
 気のせいじゃないと思うんだけどな…。籠を抱えて歩き始めてからも、考え込んだ。自分の質問を聞いた瞬間の法師の表情が、そういったことには慣れきっているはずの彼には似つかわしくなく、酷くうろたえていたように思えて…。
「………やっぱ気のせいだよね。」
あの法師に限ってそんなわけはない。結局、そう結論づけて七宝も一緒にいるはずの楓の元へと元気良く走って行ったかごめだったが………まあ、彼女の観察眼に狂いはなかったのだった。



 (…参ったな……………。)
弥勒ははっきり言って困惑していた。かごめの質問に、というよりは、質問を受けたときにすぐには答えの出なかった自分自身に、だ。
 ただの仲間だという結論にさえ心のどこかに引っかかる。
 それだけではなく、珊瑚がどこを探してもいないのにも困っていた。
「ったく、すぐ見つかるよーなとこに居てくれりゃあいいものを……。」
愚痴を言っても始まらないのである。とにかく、探さなければ。かごめのあの雰囲気では、このまま仲違いしたままで帰ったりしようものなら雷が落ちそうな気がする。
 「残るは森、か……。」
夕暮れの森は薄暗く、足元も良く見えない。ましてやこの森は“鎮守の森”、どことなく居心地も悪かった。ついつい感傷じみた考えが頭に浮かぶ。
……なんか余所者の侵入は許さねえってな感じだな。
小枝を踏みしめながら歩くこと数分、行き着いたのはあの大木だった。
 「ここにあいつが五十年間いつ見ても張り付いてたってか?ぞっとするな…。」
本人は居ないのに嫌味を言ってみる。実際、あの半妖がおとなしくここに居たとは少し想像がつかないし、もし今もいたとしたらうるさくて一刻もいられそうにない気がする。
「………戻るか……………。」
目当ての少女は森になどいない。そうタカをくくって踵を返しかけたとき………
「何やってんの法師さま、こんなとこで。」
頭上から声がした。
「………………………そんなとこにいたんですか…………………。」
「悪い?」
 見上げた先には、確かに捜し求めていた少女の姿があった。大木のかなり上のほうの枝にちょこんと座ってこちらを見ながら、足をぶらぶらと振っている。
「…よっ、と。で?何してんです、こんなとこに登って。」
「なんかさっきのあたしのセリフとおんなじなんだけど…まあいっか。ていうかなんであんたまで登って来るわけよ。」
未だに怒りが残っているらしい。それでも話の物腰は柔らかいので、少しほっとする。
 「…あんな下に居たら声を張り上げないと聞こえないでしょう?おまえ、私の質問にも答えて下さいよ。」
きちんと枝に腰を落ち着けてしまった法師の言葉に、従うどころか少し枝の先のほうへ移動した。よっぽど警戒しているらしい。ま、それも彼の先刻の行為のせいではあるが。
「ちょっと、珊瑚ってば………。」
「…この木って、何十年も前からここにあるんだよねえ。犬夜叉と桔梗のことも、全部お見通しでさ。」
「へ?あ、はあ………………」
こちらの質問には答えもせずに何言い出すんだ、この女。心中呟いたが、当然珊瑚が気づくはずもなく、さっさと続きを話し出す。
「だったら、もしかしてあたしの運命だって知ってたのかなあって…これからのことも……ま、それはどっちだっていいんだ、教えてくれるわけはないんだから。だけどね、ちょっとだけ見たかったの。この木が見てきた景色をさ。ここからだったら、なんだって見えるような気がして。明日さえも…だから、登ってみたんだよ。かごめちゃんの話だとこの木は五百年後に御神木になるらしいから、バチ当たりかなとも思ったんだけど。」
くすっと笑うと、また景色に目を向けた。紅のかかった藍色の空と、家々の夕餉の煙。普段と何ら変わりない風景だけど、この木はそれをずっとずっと静かに見てきた。
「……………愚か、ですな。」
「分かってる。」
ちいさな溜息が、一つ。
「…分かってるよ。明日を知ったりしたら、自分が壊れることぐらい。」
 分かっている。取り返しのつかないことだ。もしこの木が全てを見てきて、全てを知っていて、そして全てを許してきたとしても、それを咎めようとは思わない。
けれど、見えない明日は思っていた以上に怖くって。想像もしなかった地獄に堕ちてから、それは何より知りたいものになって。
知りたいから、少しでも知るすべはないかと探してる。いつでも、どこでも。
知ったって、何もできはしないのに。
知ることは全てではない。明日が見えないからこそ、今日の日を楽しむことが出来るのだ。もしも見えた明日の中で己の死が見えたりしたら。大切なもの全部が一瞬で消えてしまっていたら………生きようなんて思えない。笑う事なんて出来ない。痛いほど、分かっていること。
知らないから、分からないから自分は今日も生きている。
「………本気で思ったりはしないさ、ただ景色を見てみたくなっただけ。言っただろ?」
ひらひらと手を振って取りなした。生真面目になっていた弥勒の表情から気が抜ける。
「……なら、いいですけど………………………。」
「…何よ。なんかあたしの顔についてる?」
「いや………………。」
一気にぼ〜っとした顔つきになってじっと自分を見つめ始めた法師を訝しげに眺めていたが、すぐにぱっと視線を逸らして腰を上げた。
「ま、いいけど。あたし行くよ、法師さまも早めに帰って来なきゃまずいからね。」
未だに放心したような顔つきで見つめている弥勒にはもう目も向けず、言いながら隣の枝に手をかけた珊瑚だったが………。
「うわっ!?」
ばき、と枝が折れた。支えを失った体は、ふわ、と宙に舞う。
 落ちる。思った瞬間、珊瑚の鼻孔を抹香の香りがかすめた。一旦つむりかけた目を見開き、見えたものは見慣れた紫の袈裟。だが、状況を把握する前には、もう、地面にたたきつけられた衝撃によって意識は飛んでいた…。







 闇の中で、かごめの声がぼんやりと聞こえた。


          “弥勒さまってさあ、珊瑚ちゃんのことどう思ってるの?”


 どう…って、どうも何もない。珊瑚は珊瑚、俺は俺だ。

           “好きなの、嫌いなの、どっち!?”

 好き?俺が?珊瑚、を?
 んなバカな。
 珊瑚は単に奈落を倒すという目的のもと、集まった仲間の一人じゃねえか。おまけにその“仲間”だって、いつまで一緒にいるのか分からない。

 いくらでも一人になれるのに。一人でいなきゃ、駄目なのに。


       “弥勒よ、別にお前は人を愛してもいいんじゃぞ?”


今度は夢心のじじいかよ…。一体何年前の説教だか。


       “いくら呪われているからと言って、愛するなとは誰もいっとらん。
              大事なのは、真に己を支えてくれる相手を見つけることじゃ。“


 ああそうかい。言っとくけどなあ、そんな仏みてえな人間この世にいるわけねえんだよ。


                “無駄死にするな、弥勒!!”

       “ばか――っ、なんでおらたちに黙って消えたんじゃ―――っ!!”

         “みんな心配してたのよ、弥勒さまいなくなっちゃって。”

           “ちょっとは人のことも考えてから消えてよ、法師さま。”

 …そうか。こいつらがいたんだっけか。

 だが、それも長くは続かないだろう。もしこのまま集団で行動し続けて、誰かと一緒にいる時に「限界」が来たりでもしたら…。あいつらの中で一人でも、それを想像してみた奴はいるんだろうか。


こっちは考えるだけでもぞっとするってのに。



―――――――――――――シンニオノレヲササエテクレルアイテ。



 そんなもん見つけられるわけがねえんだ。そんなもん……………………………。


    “分かってるよ、明日を知ったりしたら自分が壊れることぐらい。”


 そう、明日を知ることが出来たりすれば、恐らく世の中の狂い人は今と比較にならないほど、増える。そのことをあの娘はしっかりと心得ていた。

 また、かごめの問いが響いた。

 そうだ、珊瑚はなんなんだろう?
 強いのに弱く、脆いのに強情で………………。
 おかしな話だ。
 俺が、女のことで即答できないとは。
 しかも、よりにもよってあの女。
 どうなってんだ、俺の頭は?どう、なって…………


真っ暗な意識の中で、弥勒の自問自答は延々と続いていた。







 「………………う…………?」
気付けば、周りは静けさに支配されていた。すぐには頭が回らない。
 あたし………………どうしたんだっけ?
 確か、降りようと思って掴んだ枝が折れて、落ちて………………。
 そこまで考えて、落ちた瞬間に感じ取った抹香の香りを思い出した。そして、たった今目の前に広がっている紫色………。
 ――あたし、法師さまの上に落ちたんだ。
 考えが回った瞬間、体が反射的に上を見た。そこには当然のこと、法師の顔がある。その距離があまりに近くて、心臓が大きく鳴った。
「わっ…………………!?」
すぐさま飛び退こうと体を起こす。が、あっという間に引き戻されてしまった。
「な゛っ………」
このスケベ法師、いつもの調子でタヌキ寝入りでもしていたのか、と、再び表情を見てみるが、そこには相も変わらず静かに目を閉じた法師の顔がある。
「やっぱり…………………気絶、してる?」
どう見てもまだ目を覚ましてはいないのに、その二の腕はしっかりと珊瑚の背中に回して緩まない。
 まさか、無意識……?
 そう悟った瞬間、顔から火が噴いた。
「ちょっとちょっとちょっとぉぉぉっ!!放してってばバカ法師っ!!」
必死に逃れようともがいていると、ようやく法師の目がうっすらと開いた。
「……あ…?」
「寝過ぎなんだよ、バカっ!さっさと放してってばーっっ!!」
なぜだか珊瑚の顔が間近にあって、しかも真っ赤である。おまけにずいぶん気も立っているようだし…何があったんだ?などと、ボケた事を一通り考えたあと、全てに合点がいく説明を見つけた。
 ――――どうやら、自分が彼女を抱き締めているらしい。
「いー加減にしないと切り刻んで雲母のエサにするからねっ、放せーっ!!」
「はあ。」
ばたばたと暴れていた珊瑚を、あっさりと解放する。普段ならここでもうちょっと悪ふざけの一つもお見舞いするところだが、そこまで頭が回らなかった。
 一方の珊瑚は、あまりに法師があっさりと自分を解放したので逆に不信感が増したようである。訝しげに、未だ仰向けに倒れたままの弥勒の顔を覗き込む。
「………ちょっと、どうしちゃったのさ。どっか頭打ったんじゃない?」
それでもやっぱり弥勒はボケたままである。木から落ちる前に見せていたぼんやりとした顔つきで珊瑚の方を見もせずに空を見つめている。
「いえ、別に………………。」
ぼ〜っとしちゃって、なんか策でもあるんじゃないだろうねと怪しみながらも手を貸す。
「ほら、とっとと起きる!もう真っ暗だよ?」
「はあ……。」
 立ち上がっても、袈裟に付いた葉っぱを払おうともせずに、ぼ〜っと何もない暗闇を見ている。すると、珊瑚はだんだんと腹が立ってきた。
「……ねえっ!!人が話してんだから、ちゃんと目ぇ見なよ!!」
いきなり襟をつかんで食って掛かってきた珊瑚に、呆けていた弥勒もようやく目の前の珊瑚に焦点を合わせた。それで、その真っ直ぐな視線に珊瑚は今度は言葉に詰まってしまう。
 「………ぜっっっったい、おかしいよ。あんた。」
袈裟ごと襟を握りしめたまま、顔を赤らめながら俯いてしまった少女を見下ろしながら、ほうっと弥勒はため息をついた。
「……夢を、見てたんです。」
「……はあ?」
怪訝な顔の珊瑚の声にも、夢見心地のまま。
「……夢を、見ていた………。」
 夢、を。
 どこからか声が響いてきて、それに応えるだけの。
 ただ、それだけの。
夢を、見ていた。
ちょっとちょっと、幻覚キノコでも食べたのかと言いかけた珊瑚であったが、直後、体を包み込んだ暖かさに仰天する。
 「ちょっとぉ!!なに、調子に乗って……」
 だが、弥勒は離さない。それどころか、逆に力を込めてくる。
「……一つだけ、答えられなかった…………。」
「え?」
「お前のこと。」
「へっ?」
 そう、珊瑚のこと。
 自分の中で、彼女の存在は、酷く曖昧なものになっていて。
 それだけが、ちゃんとした言葉にならなかった。
 豊富なはずの彼の知識の中に、これを的確に言い表せる言葉は、ない。
「お前は、何なんでしょう。」
「はあ?」
さっきから聞き返してばっかりだ、とは思うものの、他に言うべき事は見つからない。
「他人?仲間?恋人?それ以上?」
珊瑚は、自分がどきどきしてくるのが分かった。
なんだろう、今の法師はいつもにも増して調子を狂わせる。
「ねえ、どれですか?」
そんなの知らない。それどころか、日頃こちらが聞きたくて堪らなかった事柄だ、それは。
「他のことなら、直ぐに答えられるんです。」
他のことなら。
「いつものように、笑って、言えるんです。」
珊瑚以外の、ことなら。
「でも、お前のことは………」
どうしても。
「うまく、言えないんです。」
 恐る恐る、珊瑚は顔を上げてみた。いつもよりも一層闇の深くなった瞳が、真っ直ぐに見つめ返してくる。それを見て、不覚ながらも頬が染まるのを感じた。しかし、目は逸らさないで。
 「……言葉になんて、ならないよ。」
静かに、はっきりと。
「ことばになんて、出来ないの。あたしたちは、さ。」
できない。してはいけない。
 言葉にした瞬間。ときどき溢れ出しそうになるこの感情に、名を付けた瞬間。
 それは、自分たちを縛り付ける、呪とも似たものに変わる。
「明日の約束なんて、出来ないんだから。」
戦う日々にいる限り、明日の、否、次の瞬間の保証すら、ない。
「今は、言葉にはしないで。」
いつか言葉に出来る日を、夢見ながら。
「感じているしか、ないんだよ。」
 しばらく、弥勒はぱちぱちと瞬きをするだけだった。しかしふと微笑う。
「……お前らしい、答えですね。」
「そお?」
「はい。










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 なんだかぼけーっとした弥勒が好きみたい、この人(他人じゃないよ)
 あー甘いなあ。むしろバカップルか、これ。
 そんなに嫌いじゃないですが、なんとなく止まっていたりします。それからこれ書いたの多分去年の初めごろ、つまり一月二月の時ですから、めちゃくちゃ古いのです。文が。弥勒も珊瑚のこと好きになってない(気づいてない)ですしね。まあなつかしの作品みたいな…ははは(乾いた笑い)