月夜











 繁華街特有の騒がしさに半ば呆然としながら、一行は通りを歩いていた。
「……わあー…こんなとこはじめて来る―――…。」
「かごめもか?おらもなんじゃ。綺麗じゃのー…。」
「そりゃ七宝はないだろーねー、狐だし。」
「おれ、ここは嫌いだ……女どもの香の匂いが強すぎて…。」
「そーですかあ?私は慣れてますけど……って、あれ?何怖い顔して睨んでんですか珊瑚、かごめさま………。」
「弥勒さまの節操なし。」
「不良法師。」
「…な、なんでそんなズタボロに言われなければならんのですか……。」
「自業自得じゃ。」
  いつもとなんら変わりない会話。しかし、一つだけ違うことがあった。
「…慣れているとは言いましても、やはり私、この町だけは遠慮したいんですが……。」
「なんだよ、弥勒。いつもこーゆーとこに来ると、いの一番にどっかへ消えちまうクセに。」
「ほんと、雪でも降るんじゃない?」
「珊瑚、今はまだ初秋じゃぞ。」
「とっても珍しいことがあったときに「雨が降る」とか言ったりするのよ、七宝ちゃん。」
「ちょっと、さりげなーくけなすの、やめていただけません?」
 …そう、いつもは飄々として何ら不満も言わずに宿と決めた場所へ順応する弥勒が、なぜだかこの町にだけは馴れようとしないのである。
「でも本当に変ねえ、弥勒さま。前にここに来たこと、あるの?」
 かごめの問いに、しばらく沈黙。
「……………一応……………もう、七年も前になりますけど…………。」
へえ、と一行全員が驚きの色を示す。
「七年……っていうと……あれ、法師さまっていくつ?」
「……十八ですが?」
今度のほうが、驚きかたがハンパじゃなかった。
 「……うっそぉぉ!?弥勒さま、十八歳ぃ!?えっ、あたしと三つしか違わないのぉ!?」
「へえ、お前そんなに若かったのか。見えねえなー、全ッ然。十八には。」
「ほんとじゃのう。」
「犯罪よ。」
「絶対嘘。」
「………。」
 おおげさにため息をついた弥勒をよそに、一行は話を戻した。
「ええーっと……十八から七、だから……十一?」
「弥勒さま、そんな歳からもう一人旅?」
「ええ、まあ…まだ旅立って半年と経っていませんでしたけどね。」
「それで?なんでこの町が嫌なんだよ?」
「いや、それは、まあ………色々と…………。」
珍しくごにょごにょと口篭もるようなしゃべり方をする弥勒をまたしても無視して、一行はけなし続ける。
 「泥棒でもしたのかしら……。」
「詐欺…かっぱらい…食い逃げ…恐喝…イヤ、万引き……?」
「珊瑚、“まんびき”とはなんじゃ?」
「ていうかなんでそんな低レベルな犯罪ばっかり挙げるんですか、珊瑚。」
「おめえのことだから、引っ掛けて適当に捨てた女がいるんじゃねえのかあ?ここに。」
「犬夜叉、おすわりっ。」
「ぎゅっ!…なっ、なんでだよ!?」
「あのねー、珊瑚ちゃんから殺気が滲み出してんの、気づかないの!?」
「げ。」
「あのー……人を無視するの、いい加減やめてくれません?」
 で、かごめがようやく弥勒に向き直る。
「じゃあさ、弥勒さまもちゃーんと言ってよね。ここが嫌な“理由”。」
「そ、それは………」
ちら、ちら、と珊瑚とかごめを順々に見やる。そして、
「言えません。」
きっぱりと、しかし明らかにうしろめたげに言った。
 「…なんであたしとかごめちゃんを見てから言うわけ?」
「やっぱり女関係………。」
「ちょちょ、ちょっとぉ!?変な誤解しないでくださいよ!」

 結局弥勒の「理由」はうやむやのまま、一刻が過ぎた。
「弥勒さま、遅いわね――…。」
かごめがため息混じりにつぶやく。
「しょーがねえだろ、宿取りのためだし。」
「珍しく物分かりがいいのう、犬夜叉。」
「やかましい。」
 宿の交渉中(イヤイヤながら)の弥勒を、彼らは外で待っているのである。その時。
「ん?」
 珊瑚の表情が、険しくなる。
「どうしたの、珊瑚ちゃん。」
「……なんか、今……蛇骨と同じ髪型の奴が通りを過ぎてった、ような……。」
皆が、ぴしっと固まる。特に犬夜叉。
 「そっ、そんな、まさか……ねえ。」
「こっ、ここには死人と墓土の臭いなんかねえっ!!…はずだっ。」
「犬夜叉、お主、女の香の匂いで鼻が利かなくなっとるんじゃなかったのか?」
「すっごい似てたような気がしたんだけど……。」
「………………。」
 重い沈黙が、下りる。
「―――………追うぞ!」
 全員が、一斉に走り出した。もちろん、宿屋の中で交渉を進めているであろう弥勒のことはきれいさっぱり忘れて。
 通りを走り抜けた先に、目指すものはゆうゆうと歩いていた。そしてあの、蝶の模様の簪で止められた黒髪……。
 「か、格好までそっくり……。」
「ホラ、やっぱり似てるだろ!?」
「くっそお、なんでこんなとこにっ!!」
「……しかし、蛇骨はすそをまくっておるんじゃなかったか?」
「どーでもいいんだよ、んなこたあ!!おいっ、そこの奴ッ!止まりやが……」
「はいぃ〜?」
「え゛!?」
何とも間の抜けた返事と共に振り返った、相手の顔は………入れ墨のない、普通の女の顔。思わず全員が、ずるぅっとコケる。
 「べっ………別人………?」
「よぉく見てみれば、背中に背負ってるものもただの袋じゃのう。」
「………おいコラ、珊瑚………………。」
「なぁんだ、心配して損したぁー…ちょっと犬夜叉、そんな恨めしげにこっち見ないでよ。仕方ないだろ?こんだけ似てるんだからさ。」
「あのなぁっ!!」
 犬夜叉の怒りは、女の声によって遮られた。
「へぇ〜、あたしと誰かを見間違えたのぉ!?」
目を丸くしながら、けらけらと笑う。
「よっぽど面白い人だろうねえ、その人!」
いきなり話に割って入ってきた蛇骨の「そっくりさん」は、かなり明るい御仁のようである。“面白い”という表現に、一行は顔をしかめる。
「面白い………ねえ。」
「まあ、面白いっちゃあ面白いけどさあ………。」
「あれはどちらかといえば変人じゃ。」
「あー、変態だ。」
すると女はますます高らかに笑った。
 「あはははは、“変人”か!そりゃやっぱりあたしと似てるねえ!!あんたたち面白そうだ、ねえ、四人……ああ、その猫みたいなの合わせたら五人かな…で、旅してんの?」
「あ、イヤ、あと一人………」
 「あ゛――っ、こんなとこにいたんですかぁ!?」
かごめが説明しようとした矢先、当の“あと一人”の声が響き渡った。
 「あ、弥勒さま………」
「へ?弥勒って言った?あんた。」
「いやあ、かごめさま。全く、やっと宿を取り付けて外に出てみれば誰もいないなんて。酷いじゃあないですか、置いてけぼりとは……で、どうしたんです、何かあったので?」
「あ、あの、ちょっと人違いを……」
「…弥勒……?」
かごめの言葉を遮って、そっくりさんが声を発した。
「はい?どなたか、私をお呼びで………」
ひょっこりと、かごめの脇から奥を覗く。その法師の目線の先にいたのは、そっくりさん。
「…………………やっぱり、弥勒ッ!!やーだー、会いたかったぁ―――っ!!♪」
ぱあっと表情を明るくして、小春さながら抱きついてきた彼女とは正反対に、弥勒の反応は明らかな「拒否」であった。
「………………。」
 現実逃避らしきしばらくの思考停止の後、ついに弥勒の脳神経が動く。
「………はっ、はははは速水ぃ!?なななんでお前がここにッ!!」
慌てに慌てる弥勒とは裏腹に、普段の弥勒と同じ調子で“速水”はしれっと言い返す。
「おまえの御仲間が勘違いしてくれたお陰みたいだけど?…なんだ、もう二年ぶりになるんじゃないのー?あ、そうそう、やっぱりお前以上の相手っていなくてさあ、久し振りにアレやらな……………」
「だあああああっ、喋るな喋るな―――っ!!」
 必死で速水の口を塞ぐ弥勒へ向けられる人々の視線は、既に冷たいものとなっていた。
「………………。」
無言で仲間の方に振り返ってみる。すると、当然のように、女性陣の冷たい言葉が返ってきた……。
 「で?話を聞かせてもらおうかしらね、弥勒さま。」


 街の外れの小さな居酒屋にて。
「え――と……こちらは、私がこの街に来た時に知り合った、旅芸人の速水でして……」
「ちょっと、あんたの丁寧語なんて聞き慣れてないから、苦手なんだよ。普通に喋れない?普通にさ。大体芸人って何よー、れっきとした琵琶奏者なんだから、あたしは!」
 奥座敷に弥勒・速水と、犬夜叉・かごめ・珊瑚が(七宝はかごめに乗っている)向かい合って座っている。しかしまあ、なんとも言いようのない居心地の悪さ……。
だが、それにも堪えることなく、速水はマイペースを貫く。それに対し、弥勒はとことん冷徹だ。
「黙ってなさい、速水。……で、ですね。なーんか誤解してるようなんですけど、速水は単なる私の友人でして、決して色恋とかそういうものでは……。」
「ウソだね。」
「信じらんない。」
 即、返ってきた答えに、弥勒はもう何度目かもしれないため息をつく。そして、すでに三度目であるが、速水を隅っこに引っ張っていってコソコソと小声で囁いた。
「あのね、お願いだからおとなしくどっかへ消えてくださいよ。このままじゃ私とお前の間に何かがあるなんてとんでもない誤解をされて………」
「別にあたしは構わないわよ、誤解されよーが何されよーが。」
はあ、とまたため息が漏れた。
「………全ッ然変わってねえな、そういうとこ………。」
「ああ、やっぱりその口調の方が落ち着く♪」
 小声にも関わらず、会話は古い友人同士特有の明るさを伴ってやたらと目立つ。
「…………楽しそうだね、あの二人…………………。」
「ぜっってー何かあったな、あの二人………。」
「なんなんじゃろのう、あの弥勒の反応は………。美人なら誰でもいいのかと思っておったが。」
「………。」
 ただ一人、珊瑚だけはただただむっつりと黙り込んでいた。いつもと違って、殺気は滲ませずに。ただ苛つきだけを露わにしながら。なぜか?

(………法師さま、あの人に会ってからあたしと目を合わせないようにしてる………。)

 これが、苛つきの理由である。
 あからさまな視線の操作は、いくらなんでも珊瑚には当然判る。弥勒もその程度のことは重々承知のはずであるが、致し方なかったのだ。………ある理由で。
 「あ、あの、わたしちょっと外に用がありますから……適当に話しててください。」
にこやか〜な引きつり笑顔を浮かべ、そろそろと後ずさる。…空気が、重い。
「何?弥勒さま。……逃げる気??」
 弥勒にとってはかごめの笑顔までもが、いまは凶悪であった。
「いいいいやッ、滅相もないっ!!じゃっ!」
とてつもなく慌てふためきながらも、あっという間に弥勒は去ってしまった。
「逃げたな。」
「逃げたんじゃな。」
「逃げたわね。」
三人の反応に、速水は心底楽しそうに笑う。
「ははは、いい仲間だね、あんたたち!!」
 高らかに笑う速水に、メンバーは普段溜まっている弥勒への不満をとうとうと喋り始めたのだった……珊瑚を除いて。

 「はあ〜………。やっぱ来るんじゃなかったな、ココには……。」
ぶらぶらと歩き回りながら、弥勒は必死で打開策を打ち出している最中であった。
「しっかし、まさか本当にまた出会っちまうとはなあ……」
「そうねえ、ずーっと“珊瑚ちゃん”と目を合わせないようにしちゃって、大変だったでしょ、“弥勒さま”?」
「ええ、ええ。イヤかごめさま、良くお分かりで……え゛?」
 …おかしい。
 今しがた聞こえた言葉、なんか……口調と声が、別物だった。
 「さっ、珊瑚……。」
振り返った先に居たのは、やっぱり、珊瑚。
「残念だったね、苦労が報われなくって。」
 じろりと冷たく睨み、珊瑚は言葉を続ける。
「さて、説明してもらおうか。」
「……なんのことでしょう?」
「とぼけるな。」
突き刺さる声の鋭さに、背筋が冷たくなる。いや、むしろ、この後の展開を考えて寒気がした、というべきか。
 「なんで、あたしを避けるワケ?」
「べ、別に避けてなんか……」
「嘘つけ。ず――っと目線合わせないようにしてたくせに。しかもさっきあたしが言ったことに“よくお分かりで”って返事したでしょ。」
………………………………万事休す…………………………。
 どうしよう。いっそのこと全て話してしまおうか?しかし、話せば余計妙な誤解を受けて軽蔑の目で見られる可能性もあるし……などとごちゃごちゃ考えているうちに、珊瑚が痺れを切らす。しっかりとした説明を聞くのをあきらめ、くるりと後ろを向いて歩き出してしまった。
 「ったく……ど――せ、速水さんにあたしといい仲だなんて誤解されるのが嫌だったんだろ。そりゃーあたしとなんか誤解されたんじゃ迷惑だ……」
「違います!!」
 予想外の弥勒の過激な反応に、両者、沈黙。珊瑚は、驚きに目を丸くして。弥勒は思わず掴んでしまった珊瑚の手を見つめながら、後悔して。
「………………………何よ?」
「だっ……だから……」
答えられないのに、掴んだ手だけは離すのが惜しい気がして、離せずにいる。
 「あのっ…。 !」
「……。」
二人同時に、気がついた。背後がから食い入るように刺さってくる、複数の熱い視線、に。
 ひゅんっ、ざくっ!
「うおわっ!」
珊瑚、弥勒がそれぞれ投げた錫杖と脇差は、槍投げのよーにものの見事に犬夜叉の目前へと刺さっていた。
 「……あーあ、いいトコだったのにぃ……。」
「ったく、昔っから妙なとこに鋭いんだから、弥勒はぁ……。」
こそこそと建物の影から這い出てきた人々が、くちぐちに不平を言う。だが、当人達にとって見れば迷惑にもほどがある。
 「何がいいトコよっ、かごめちゃんてば酷いっ!!」
「皆さんそろって覗き見とは、なんとも趣味の悪いことですなあ……。」
「んだとコラぁっ!!距離を確かめもせずに人に向かって刀投げやがってっ!!」
「いいだろ、刺さんなかったし。」
「我々が気配だけでも距離を読めたことに、感謝でもしておきなさい。」
「何ぃぃっ!!!?」
「あーもーっ、喧嘩しないの、三人ともっ!!」
「くぉるぁっ、かごめっ!!元はといえばおめーが二人の会話盗み聞きしてみないなんて言い出したからっ……」
「ああっ、ちょっと何よっ、人のせいにする気っ!?おすわりぃっ!!」
「んぎゃあっ!!!」
 いつもどおりの喧騒である。
 ――…賑やかだけど和やかで、好いなこの仲間――…速水は、終始くすくす笑いが止まらなかった。

 ……しかし。
 速水は考えていた。
 あれからもう一時(現代時間にして約二時間)ほど経っている。その間、自分はずっと珊瑚の傍に居るよう心がけていた。
 勿論、珊瑚という女の特性を知るために。
 結果。
 一応、顔は美人のうちに入ると思われる。身体の線もかなり綺麗なものだ。
       …だが、性格がそんな容姿とはかけ離れすぎている。
 責任感が強くて真面目一徹、誰にでも分け隔てなく思いやれる部分があるのは女らしいと言えなくもないのだが、問題はここからである。
 男勝りで負けず嫌い、少しばかり短気で単純な上にどうやら人との会話が不器用で苦手。
 これに「退治屋」という肩書きと実力が加わったのだからたまらない。
 多少の力仕事なら簡単に自分でこなすし、そこらの男が絡んでこようものならきっちりと叩きのめす。実際、かごめ・速水・珊瑚の三人娘(速水は一応弥勒よりも年下らしい)へと声をかけてくる男共は数知れず。が、その全てが三十分ほど気絶するという結果にいたっていた。
 ……こんな、常人離れした女に。
 ……こんな、とても女らしいとはいえぬ女に。
 「……………なんで、弥勒が惚れたんだ…………?」
謎だ。これは自分の中で永遠の謎になってしまうのではないかと思われるほどに。
ここまでの弥勒の様子から見て、珊瑚が特別であることは火を見るよりも明らかなのだ。だが、珊瑚には男に惚れられるような性質は見られない。珊瑚はどちらかといえば、城の城主やそこらの金持ち――見た目だけで女を選ぶような連中――向けの、女だ。中身を知られれば即、恐れられて敬遠されること間違いなしなのである。
 弥勒の好みに合っているとは到底思えない。
 あいつ、見た目と違って遊びと本気は結構きっちり分ける奴だからなぁ……と、速水の謎は果てしなく。
 突き止めるには、多少の無理も必要なようだ。そう、結論付けた。
 「ねえね、珊瑚さん?」
「え?」
女だというのに薪割りをしていた珊瑚へ、声をかける。たすきで捲り上げた袖からは、汗ばんだ腕がのぞいていて少し色香が漂っていなくもないが、その先には斧が握られている。
 「何か用?速水さん。」
少し語尾が尖っているような気がするのは気のせいであろうか。
「あのねー、珊瑚さんってー……」
「?」
「弥勒と恋仲?」
薪と一緒に、斧が折れた。ぱらぱらぱらと、斧の破片の散る軽い音だけがその場に響く。
 「…なっ、なっ、なっ……」
「ねえねえ、どうなのどうなの?そこんとこー。」
顔を真っ赤にして言葉に詰まっている珊瑚に、速水は更に聞く。
「なーんか今日一日見てるとさ、そんな感じに見えるんだよねー。」
「ちちち違う違うッ!!法師さまとなんか、なんでもないよっ!!」
「えー、ほんとぉ?」
「本当ですっ!!」
「じゃあさ、手も握られてないの?口付けとか……」
「くちづけぇ!!??」
いきなり素っ頓狂な声を出してきた珊瑚の顔を、半ば驚き混じりで見つめる。
 ……なんか……昼間ッから思ってたことだけど…………
「そっ、そんなのしてるわけ無いじゃないかっ、あああたしが法師さまと法師さまなんかと…っ!!」
言葉がだんだんしどろもどろになって、ついには声にもならなくなった。顔はますます朱に染まり、目が少し潤んでいる。
 ……………面白い(可愛い)んだな、この子……………。
「な―るほどぉ……。」
突然何かに納得しだした速水に、珊瑚はひたすら目を丸くする。
「安心しな!!」
「はぁ!?」
ばん、と背中を思いっきり叩かれ、赤面したまま間抜けた声を発してしまった。
「このあたしが来たからには、あっという間に安泰さ!!あははははっ!!」
「?????………!?」
もしこの場に弥勒がいたならば、きっと顔を真っ青にしたことだろう……。

「み・ろ・く♪」
ぎくり、と体を震わせ、ゆっくりと振り返る。そこには当然、速水の姿。
「…………なんでしょう?」
「ったく、冷たいな――っ、弥勒!!あーんな可愛い子がいながら、あたしに教えてくれないなんてさぁ!!」
ぴしっ、と、弥勒が歩き出した格好のまま、石化した。
 「どーした?弥勒。」
きょとんとした速水を、振り返ってぎろりと睨む。首が、ぎぎぎ、と音を出した。
「……どーゆー事でしょうか……?」
弥勒の、実に暗い、ゆっくりとした問いに、速水は極めて明るい満面の笑顔で答える。
「なんだー、顔色悪いよ?弥勒!だーかーら、珊瑚さんの事よ珊瑚さんのっ!!あたしでさえちょっと驚いちゃったねー、普段の凛々しい姿から自分の色恋事持ち出された時の顔への変わりよう!!あんたあれが可愛くってしょーがないんだろ?意外と弱いもんねー、ああいうちょっとくらっと来ちゃうような可愛いのっ♪」
「……………。」
 ……終わった。
 そのうちばれるのではないかと、だからこそああも必死で隠そうとしていたのに。
 終わってしまった。
 ばれ、た。
 もう駄目だ、こうなったらコイツは絶対に止められない。どうせすぐさま行動に出るに決まって…………
 「あ、そうそう。珊瑚さん森に一人で行っちゃったよー?大丈夫かなあ〜、あそこよく野党が出るんだよね〜。」
 ……もう既に出てたのか。
「………てめえ………。」
「恐い顔してる場合じゃあないでしょ、行かないの?」
「…………。」
今にも掴みかからんばかりの弥勒に向かって、さらりと言い放つ。
「………ちっ!!」
 結局、弥勒は森へと走り出した。

 息が、切れる。
 もうだいぶ奥まで進んだのに、目指す小袖姿は見つからない。日はとうに暮れて、森を支配するのは闇のみ、だ。
「……ったく、いったい何吹き込まれてこんなとこ入ったんだか、珊瑚のやつ……。」
 気ばかり焦って、なにも良い考えが思いつかない。
 何か手がかりはないかとか、珊瑚の性格からしてこの辺でこっちに行くかとか、もっと早く動く手段は何かとか、いろいろ考えはするのにその考えに対する自信がこれっぽっちも沸かないのだ。普段ならば、自信程度、あふれんばかりにあるというのに。
 …………振り回されている自分が、いる。
「……畜生………!」
 闇に舞う白色が目に入ってきたのは、その時だった。
 「ぎゃああっ!!」
なんとも間の抜けた声が、辺りに響く。どうやら野党の一人のようである。
「なんだ、この女ぁっ!!」
「囲め囲め、やっちまえ!!」
まだまだ複数仲間が居るようである。そこへ響くのは、なんとも芯の強い、女の声。
「どうぞ、囲むでもなんでもしてみれば?もっとも、あたしに滅多なことでもしたら、この雲母だって黙っちゃいないだろうけどね。」
まるで珊瑚の科白に合わせるように、変化した雲母がぐるるる、と唸った。ひい、と誰かが小さく悲鳴を上げる。
 「お、お頭ぁ〜。もう逃げましょうぜ。」
「へ、へんっ。こちとら戦を二つも三つもくぐり抜けてきた身なんだ、こんなか細い女一人にやられてたまるかっ!」
明らかに怯えているくせして、口だけはでかい。珊瑚がついたため息が、はあ、と弥勒にも漏れ聞こえた。
 「覚悟しやがれ!!」
「そっちがね。」
刃こぼれした刀を振りかざし、襲い掛かってきた「お頭」に向かう珊瑚は、武器の一つも持っていない。だが、勝負はすぐついた。
 「ぐえっ!!」
すばやく懐に滑り込んだ珊瑚の蹴りは、相手の腹に見事にヒット。「お頭」の目が、一気にぐるんと回って白目をむいた。
「おっ、お頭アっ!!」
「あれ、手加減したつもりだったんだけど……」
 ひゃああああっ、と甲高い悲鳴を上げながら、野党どもは伸びている仲間も連れて一目散に逃げたようであった。
「あーあ、もう嫌になってきた……」
「…珊瑚ッ!!」
 ぶつくさと独り言を言っていたつもりなのに、突然名前を呼ばれて反射的に後ろを振り返る。そこには、肩で息をしている法師の姿。
「……なんで、そんなに息、上がってんの……?」
だが、法師はそんな珊瑚の疑問など、耳に入っていないようだ。
「さ、珊瑚っ!!お前、なんともないか!?」
珊瑚の肩に手を置いて、揺さぶるように激しく問う。だが、珊瑚はきょとんとするばかり。
「な、なんともって……何が?っていうかそれより法師さまの方が……」
「……………良かったぁ………………。」
 戸惑ってばかりの珊瑚の肩に両手を置いたまま、へなへなと座り込む。よほど気が抜けたらしい。
 「な、何?なんなの?ちょっと大丈夫、法師さま?」
思わず一緒になってしゃがみ込み、下を向いてしまった弥勒の顔を覗き込む。
 珊瑚が訝るのも無理はない。座り込んでいる弥勒は、こめかみからは汗が垂れ落ち、肩が激しく上下するほど呼吸を荒くして、普段の冷静な彼の姿からはおよそ想像もつかないような状態だったのである。
 「ねえ、大丈夫ってば。」
「……おまえ……どうして、このような場所に来たんです?」
その言葉の中に、僅かながら刺があるような気がして、珊瑚もむっとする。
「何言ってんだよ、法師さまが森の道で待ってるって言ったんじゃないかっ。」
「……………はい?」
間の抜けた返答をしてきた法師に向かって、ゆっくりと、苛立ちを露わにしながらさらに言葉を重ねる。
 「だーかーらっ!!あんたが速水さんに言づて頼んだんだろ!?森で待ってるから、一人で来て下さいってさ!!」
「………。」
なるほど、そう言って俺と珊瑚二人だけにしようとしたってわけか。…と、心の中で簡潔に結論付ける。同時に、深い吐息が漏れた。
 安堵と、呆れの、ため息であった。

 「……じゃあ……速水さんが言ってたのって、嘘?」
「嘘も大嘘、真っ赤な嘘です。」
すっかり暗くなってしまった小道を、のんびりと歩きながら、二人は状況把握に四苦八苦していた。
 雲母に乗ろうかとも思ったが、人の多い繁華街に巨大化した猫又の姿を現すのはためらわれたのだ。
 「嘘、か……あれ、でも、なんで……。」
「え゛。」
暫しの、沈黙。弥勒は先程から、理由を尋ねられるたびに言葉に詰まる。そして、
 「…ま、つまりは、速水の言うことは信用しない方が良いわけです。」
……と言って、その場を切り抜けようとする。その後は冒頭に逆戻りというわけであるが、そうそう何度も引っ掛かる珊瑚ではない。
「あのさ、それはもう分かったから、訳を聞かせてくんない?わ・け。」
ぎろりと睨まれ、弥勒もそろそろごまかしの限界に気づき始めていた。
「えーと………」
「えーと…何よ?」
 ちろり、とそらしていた目線を戻す。そこには、当然のように、強い意思にらんらんと輝き、燃える瞳が、真っ直ぐこちらを見つめていた。
 「……どおーしても、聞きたいですか?」
「うん。」
即答してきた珊瑚に、思わず、はあ、とため息をついてしまい、更に珊瑚から睨まれる。ははは、と誤魔化し笑いをしながら、しぶしぶ口を開いた。
 「……いや…あの娘は、なんと言いますか……他人の恋事情に口を出すのが、大好きでして………その…」
きょとんとした目を向けてくる珊瑚を、苦々しげに見やりながら、言った。
「…それで……あの、ちょっと声をかけただけの女子と、二人っきりで閉じ込められたこととかも、ありまして…」
 瞬間、すざっ、と珊瑚が十メートル後ずさった。予想通りの反応に、はあ、とため息を再度つく。
「だからね、こうなるのが分かってたから、言いたくなかったんですよ……。」







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 これは…なんか酒盛りミロサンで、珊瑚がベタ酔いの上なんかベタ甘になる予定で。そこだけは今でも書きたい気がするんですが…いかんせん、長すぎてどうも。書く気力が失せた、みたいな(駄目物書き)。ちなみに弥勒の昔の知り合いが蛇骨似なのはなんとなく。ちょうど本誌連載でも絶好調(?)のころに書いてましたし、イメージ的に似てたんですよ…まあそんなわけで深い意味はなかったり。
 これはホントに古いですから、なんか無駄な文が多い気がします(汗)。ああそうそう、それに、こうして古い文掘り起こしまくってて気がつきましたけど、昔の私の文章ってやたらめったら「…」が長いですよね。多いし。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」ぐらいあるじゃないですか。今は「…」か「……」でなるべく統一してるんですけど。(笑)
 ああ、若かったんだなあ(しみじみ(え))。