『よかった。』 ---10.
ふと目が覚めて、とりあえず周りが見えてきたけど自分の置かれた状況はまだよく分からないうちに再び下から引っ張られた。叫びかけた名前が不自然に途切れる。
法師さま。
とぷん・と水音が耳を打って、再び視界が歪む。伸ばした手も、また“何か”に引っ張られて。
さっき思い出したような気のする記憶の欠片、それも意識と一緒に曖昧になっていく。大事な、大事なことだったはずなのに。
いや。自分はまだ忘れている。
さっき思い出したのと同じくらい、もしくはそれ以上に、大切な何かを忘れている。気がする。
好い加減呼吸が苦しくなってきていた。あああたしはここで死ぬんだろう。ふとそんな風に思った。思った瞬間、一言、頭をよぎった。
よかった
「?」
ぱち、と瞬き。どうして今自分は“良かった”などと思ったのか?分からない。
ただ、ふわふわと浮かんで消えた人の顔がある。
ほうしさま。
なんだろう、何故か、何か、記憶がざわめく。
ほうしさま。
浮かぶ顔はいつも曖昧な笑顔でかけてくれる言葉は優しくて、いつもなんとなく哀しそうな気がするけどでも、一緒に居ると不思議に落ち着く、ひと。
なのにどうしてか自分は本当は、今より近づくのは怖かった。
――…法師さま
不意にその響きが酷く耳に馴染んだものになる。どく・と一回だけ、胸が高鳴る。
ああ・と思った。ああ・と、ああ分かった・と、急に全てに得心がいった気がした。
ああ、私は――……
すぅ・と目を開ける。冷たい水が眼球を刺して、一瞬ぼやけた世界は少しずつその輪郭を取り戻していった。ちょうどその時見えた、近づいて来る黒い影。それがその人だと判った時、知らずに珊瑚は少し微笑った。
あたたかい腕が身体をすくいとって、もう片方の腕で自分に巻きついていたものを全てなぎ払う。ふっと急激に浮上するのを感じた。
派手な水音。肺に差し込む新鮮な空気。自分を呼ぶ声。
「聞こえるか?珊瑚!」
聞こえるよ。見えるよ。ねえ、法師さま。あたしね――…
「珊っ……」
彼が言い終える前に、手を伸ばした。
きゅう・と細い腕が巻きつく。そっと、本当にそっと、大切に大切に抱えるように、少し強く。
「…、珊……あの?」
「よかった」
「え」
ぽつりと珊瑚の呟いた言葉に、思わずどきりと胸が高鳴る。蘇る、すえの言っていたこと。
あれは紛れも無い事実だろう。
「…珊瑚」
「よかった。」
弥勒の呼ぶ声も聞こえていない様子で、繰り返す。また腕に力が入る。
「……?」
少しだけ首をめぐらしてみると、少しだけ彼女が離れてまっすぐ自分を見た。その顔は、――…想定した表情のどれでもない、あたたかい笑顔だった。
「よかった。あのね、法師さま、思い出したんだ」
「…え……」
ぴた・と弥勒の首筋に頬を寄せて。
「死ぬんだって思った。川に落ちたとき、冷たくて、何も見えなくて、きっと私は死ぬんだろうって思った。みんなが来るわけないのも分かってたから、現実的に考えれば」
「……」
「その時、私、最後に思ったんだ。『よかった』って、思ったんだ。思い出した」
「…珊瑚…」
もう良い。言わなくて、良い。良いから。
そう言いたくて少し引き離し見つめ返したのに、やっぱり珊瑚は哀の色は見せていない。ただ少しだけ微笑を引っ込めて、
「私、怖かったんだよ。ずっとずっと、怖かった。そんなの思ったこと無かったけど、気付いてなかったけど、怖かったんだ――法師さまはいつ死ぬんだろうって、怖かった。…だから、そうやって怖がってるのも終わらせられるって思った。あの時。だから思ったの、『よかった』。」
「珊瑚、もう――…」
「でもね、いっしょに、おんなじように気付いた」
きょと・と目を丸くする。また、珊瑚が微笑う。
「怖かったよ。怖かった。今だって怖い。だけど、…私、法師さまに逢えてよかった」
「……」
出すべきだった言葉が声を失う。その意味すら消える。
「不安でも良いんだ、怖くても良いんだ。それでも私、法師さまと一緒に居るとほっとするから。泣きたいようなこともいっぱいあって、死にたくなることだっていっぱいあって、…だけど、生きたいって思えた。色んなときに、色んな風に慰めてもらって、元気をもらって。…法師さま、助けてくれたよ。ずっとずっと」
川の水音が、遠のく気がした。
「だから、今、嬉しいんだ。嬉しいの。生きててよかったって、本気で思ってる――あの時死ななくて、また法師さまに会えて。……分かったんだ、私、怖いけど、一つだって後悔してない。法師様と出逢えて、ほんとによかっ――」
言葉が途切れる。
弥勒が、ぎゅうと強く抱き寄せた所為だった。
「……ほ、し、さま?」
すぐには答えず、息を吐く。ただ腕に力を込めた。それから、珊瑚にはほとんど聴こえないようなかすかな声でぼそ・と一言、何か言った。
「…え?……なに、なんか言った?」
ぱちぱち瞬きして、少し慌てながら珊瑚が聞き返す。
「ねぇ、法師さまってば」
「……」
再三の呼びかけにも黙ったまま。今の自分の表情は見られたくない。苦しすぎる切なすぎる、ああでもそれ以上に?
目を伏せた。
顔をずらして、彼女の髪と首とにそっと唇を埋めて、
「――…ありがとう。」
ただ一言、ただ一言に、精一杯想いを込めた。
川の水は冷たいけれどそれ以上に目の前にこの人が居てくれることが嬉しくて気にならない。
もうじきあの三人も帰って来るんだろうな、そうしたら彼女は照れてすぐにでも離れたがるんだろうな、でもお願いだ今日だけは今だけは、もう暫くこのままでいさせて下さい。二人きりでなくなるときがタイムリミットでいいから、その時まで。外面も約束も何もかも今は忘れさせて。今ばかりは、あなたと出会えた喜びと、あなたへのいとしさを、心の奥まで噛み締めていたいんです。
ああ、ありがとう。
“よかった”と言ってくれて、ありがとう。
俺も、俺こそ、――君に出逢えて、よかった。
------------End.
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うわあああ、やっと『終り』といえるよーな形にまでまとめられましたまとまりました、長かった!(汗) ホントは全部の章まとめて一つのページにしようと思ってたんですが、まとめてるうちに「なんか一つ一つの章できっちりまとめっぽくなっちゃってんな…」と思って半分ヤケでそのままにしました(ぇ)ということで十話目完結です。ホントはこのあといつものバカップルっぽい弥珊になったりかごめさんたちが戻ってきて微妙に呆れたり(弥勒たちのほのぼのカップルぶりに(ぇ))、すえのご供養ついでにちょっと真面目な話したりと色々ある予定でしたが書けば書くほどドツボにはまって取捨選択行きの影を濃くしていきましたのでスッパリ切りました。スッキリ!!(お前面倒だっただけなんじゃ…)
約一年かけて書いた割にまとまりきってませんな…; とりあえずお互い出会えたことが確かに幸福だったと、弥勒珊瑚両方に思ってほしかった。てな感じですか。で、ヤケ気味につけてたタイトルを結局元のやつ(ワードで打ってる時付ける仮タイトルのこと 取捨選択リストの作品名は全部この“仮”です、UP時に変わったりそのままだったりします)に戻しました。書けば書くほどこの一言に集約される話だなあと思ったので。「よかった」、心からそう思えるような出会いがいっぱいあればきっと幸せな人生だと思います。むしろたった一つだけでも幸せ。
甘いっつーかほのぼのですねこれ;;「甘々予定」とかうっかり吐いてしまって、しばらく悩んでうんうん唸ってたんですが…結局挫折したのでそのまんま 精神的に甘々ってことで!(逃げんな)いやでも現実にこんなカップルいたらマジで甘い人らだと思いますよ。かごめさんそろそろ限界かもしれませんよ(ぇぇぇ)
まあとりあえず待って下さった方そして読んでくださった方、ありがとうございました!こんなですがまた宜しくお願いしますー。。(と、今年(2005)の正月に言うはずだったんだよなこの小説と一緒に…おかしいな;)
…ああ、後書きまで収拾つかないよどうすんだコレ(ぇ) 無理矢理終わります。すいません。(土下座)