『もういちど。』
「だぁかぁらっ、お前はゆっくり休んでろっつってんだよ!!」
「何よっ、大丈夫だもん、あたしだって…っ」
言葉途中で激しく咳き込む少女を“ほら見ろ”というふうに、しかし心配そうに見る、少年。
かごめは風邪をこじらせかけていた。
「…いいですよ、もう。犬夜叉、かごめさま。二人ともここで休んでいなさい。」
呆れたように言う法師に、え、と二人そろって声を上げる。
「何言ってんだよ、俺らが休んだら二手に分かれられねえじゃねえか。」
「何言ってんだはこっちだ。私と珊瑚が分かれれば良いことだろう」
「そうだよ。別に二人じゃないとダメってワケじゃないんだし。」
当然のように言い出す二人組に対し、ああそっかと少し納得する。
「でもよ…大丈夫、なのか?」
「は?何が。」
きょとんとし、そしていつも通りの気丈な返事を返した。
「大丈夫に決まってるだろ?あたしらの腕、忘れたの?」
もごもごとそうだけどとかなんとか言っている少年に向かい、法師はふっと不敵に笑う。そして、こっそりと少年にだけ聞こえるように、言った。
「なんなら、七宝たちは連れて行ってやろうか?かごめさまと一緒にいるには、何かと邪魔になるだろう。」
とたんに、染まるはずのない犬耳が赤く染まった。
「な゛っ…馬鹿っ!!とっとと消えろっ、この助平野郎!!」
ははは、と笑い、
「それでは。行って参ります。」
「あ……」
止める間もなく、二人は森へと歩き去った。
悪夢はいつでも、なんの予兆も示さない。
「あたし、こっち行くよ。」
「はい。それでは、私はこっち。」
いつも通り。
「じゃあね、またあとで。」
「分かりました。」
いつも通りだ。
どうせ、すぐにまた会える。
そう、思い込んでいたから。
一刻ほどが経っていた。珊瑚はただひたすら歩を進め、藪を切り払い、枝を退け、蜘蛛の巣を突き破って見回っていた。
ここのところ鎮守の森から何やら得体の知れぬ邪気が漂っているから、見てきて欲しい。
楓からの頼みである、手は抜けない。
「でも、なんにもいないな…」
おかしいほどに。
狸や狐の一匹や二匹、いても良さそうなものだが……
そう思っていたとき、突然肩を叩かれた。
「っ!?誰っ……あ。」
ほうっとため息を漏らす。
「なーんだ……。」
そして、
「どうしたのさ、こんなところに。見回りは?」
珊瑚は、目の前でいつものように微笑む弥勒に、言った。
弥勒も珊瑚と同じく、慎重に森の中を見て回っていた。ただし、こちらは少々手抜き気味である。特に楓が言うほどの邪気もなく、何よりずいぶん前からよく見知っている森だ。いささかの安心感は否定できなかった。
「あー、とっとと終わらせてぇなあ…」
珊瑚との帰り道が、今から待ち遠しかった。自分も抜けたもんだと苦笑する。と。
がさり。
背後の茂みが音を立て、即座に反応しその方向を見、錫杖を構えた。が、しかし。
「あ。」
目を一瞬だけ丸くし、そして微笑んだ。
「なんだ、お前ですか……。」
そして、
「どうしたんです、もう終わったんですか?」
弥勒は、先まで思い浮かべていたのと同じように笑んでいる珊瑚に、言った。
「ねえ、もう終わったの?そっち。」
すっかり警戒を解き、そばへ駆け寄る。法師はただ微笑うだけだ。
「ちょっと、何か言ったらどうなんだよ。法師さ……」
言葉は続かなかった。
突然喉元に圧迫感を感じ、気付けば足は地に付いていなかった。
「え……」
喉を掴む手には、見慣れた紫の手甲。その下方に、冷たい光を宿した法師の瞳があった。
酸素の行き届かない肺が悲鳴をあげるのを自覚しながら、己を持ち上げている腕を震える手で掴む。力が、入らない。
「何、……おまえ…誰、だ?」
しかし、相手は柔らかく微笑って、そして答える。
「何言ってるんです?私ですよ、弥勒です。昨日だって、ここで一緒に話したじゃないですか、色々。例えば――」
すぅ・と目を細めて。
「もし死に場所を選べるのなら、こんな風に良い眺めの場所がいい、とか。」
「え」
それは、確かに、昨日一緒に。
「すみませんね。」
感情のない声は冷たく言い放ち、そしてその腕の力は突如抜けた。
二十メートルほどの高さの、崖の縁で。
「っ!!」
とっさに崖際を掴んだが、先程まで完全な酸欠状態だった脳からの指令は不十分。ずっ、と少しずり落ちかける。
「……。っく……」
脂汗が滑るのを感じながら、必死に腕に力を込める。と。
「……。」
無言で、法師が歩み寄ってきていた。遥か上方にあるその顔は、今まで見たことがないほどに冷たくて。
「…法師、さま……」
いつの間にか、視界が滲んでいた。生ぬるい涙が、目に溜まる。
「どうして」
「成仏、して下さい。」
その手に握られた錫杖は、かろうじて崖際を掴んでいた珊瑚の細い手に向かって、真っ直ぐに振り下ろされた。
手に感じた鈍い痛み。
骨にひびが入り、砕けるような音が体の内部に響いた。
でもそれより何より、胸の奥がずきずきと痛んで。
「あ………」
涙のしずくが、一粒、二粒。
空を、舞った。
静かだった。
小鳥がさえずり、木々が揺れる。
崖の下は、岩場であった。
そのうちの一つの岩から、赤い液体がたらたらと流れ落ちていた。
「早いですね、珊瑚。しかも私の居場所を探し当てるだけの時間があったとは。」
思っていたより早く会えたことが嬉しくて、つい気が緩む。
「それにしても、どうやってここに……」
一旦向けた背をまた返し、振り向いた瞬間だった。
どす、という鈍い音が体内を走り、腹を炎が舐めるような感覚に襲われる。
「え……」
珊瑚は、右腕をすっと真っ直ぐにこちらに向けていた。
その手には、いつも腰の鞘に収められていた、見慣れた刀。
ぽたり、ぽたりと、その刀身に血が伝い、地面に落ちた。
「何、を……」
「言っとくけど、あたしは珊瑚だからね。いつかの坊さんみたいに妖が取り憑いてるわけでもない。」
いつも愛しく思っていた笑顔のままで、言った。
「あたしの、意思さ。」
ズッ、という鈍い音ともに乱暴に刀が弥勒の腹から引き抜かれる。足に力が入らず、弥勒は膝をつきうずくまった。
「…っう……」
「ねえ、覚えてる?この斜面の下にさ、とっても大きなイバラの茂みがあったよね。」
はっと顔を上げた。
覚えている。はっきりと。二人で見つけて、季節が来れば花が咲く・と言いあった。
「でもさ、花がないうちは、ただの棘でしかないんだよ。」
冷や汗が、こめかみを流れ落ちた。素早く目を巡らせ、後ろを見る。すぐ後ろは、長く続く急な斜面だ。そして、まるで示し合わせたように、弥勒からそのイバラの茂みまでにはなんの障害物もなかった。
…まさか。
「さよなら、法師さま。せめて顔くらいは庇っといたほうがいいかもよ?死体が見苦しくちゃ、かごめちゃん達も泣くに泣けないだろうから。」
信じられないような冷たい言葉を平然と吐き、そして珊瑚は軽く蹴った。弥勒の、血が溢れている腹を。傷を押さえた、手の上から。
激しく回る視界の隅に、一瞬彼女が見えた。微笑んでいた。
茂みが迫る。とっさに彼は目と首をかばい、瞼を降ろした―――。
静かだった。
木々の間は薄暗く、しかし時折鳥が鳴いて平穏そのものであった。
その斜面の途中に、かなり大きなイバラの茂みがあった。森の瘴気の影響か、何故かその棘は通常のそれより大きく鋭く育っていた。
その棘のところどころが、血に赤く濡れていた。
地の土が、血を吸って黒く色を変えていた。
「血の匂い!?」
かごめが声をあげる。
「ああ。二種類、たぶん……弥勒と、珊瑚。」
焦った声で犬夜叉が言い、そして素早く指示を出す。
「七宝。おまえ、雲母と一緒に西に行け。いつも通りならあいつらは多分、西と東に分かれたはずだ。俺とかごめが東に行く。」
「わ、分かったっ…行くぞ、雲母っ!!」
みい、と猫又が返事をしたのを合図に、それぞれが小屋を出た。
着いた先の様相に、犬夜叉とかごめは言葉を失った。
長い急な斜面の中ほどにぽつんとあった大きなイバラの茂み。その中で、弥勒は微動だせずに横たわっていた。いや、横たわっていたというのは正しくない。正確に言うなら、茂みの間に割り込むようにして、背をもたれさせながら座っていたのだった。
丈夫なはずの墨衣も袈裟も棘によってずたずたになり、手足には無数の切り傷がついている。そして何より、その腹の真ん中をどす黒く染めた、夥しい量の、血。
「み…弥勒、さ……ま?」
がくがくと震えながらかろうじて言ったかごめに、
「しっかりしろかごめ!…弥勒っ、なんとか言えっ、弥勒!!」
喝を入れ、そして呼びかける。当然のように返事はない。
「…とにかく、引き上げる。とっと手当てしねえと…やばいかも、知れねえ。」
暗く沈んだ、焦燥を隠さない声で、犬夜叉が言った。
「…さ、珊瑚……」
やはり、七宝も言葉を失っていた。
かなりの高さの崖の下。
白っぽい岩の上で、その真っ黒な退治屋衣装と滴る真っ赤な血の色は、あまりに鮮明で。
薄く開けられた目は少し濁って見えて、まるで――死んでいる、かの、よう、な。
「…珊瑚っ!目を開けいっ、珊瑚!!」
返事はない。微動だに、しない。
「……珊、瑚ぉ……」
うるうるとその大きな瞳を涙でひたし始めた子狐を少し諌めるように、雲母が強く鳴く。はっとし、そしてぐいっと涙をぬぐって、言った。
「行くぞ、雲母。どうにかして、珊瑚をお前の背中に乗せるんじゃ。」
ふうっと息をつく。ようやく、二人の手当てが一段落したのだ。すでに始めてから半日以上が経っていたが。
「大丈夫か、かごめ。」
ぶっきらぼうながらも気遣わしげな半妖に、少女は大丈夫と返した。しかし、どう見ても大丈夫そうな顔色ではない。心労から来る貧血だろうか。
「…あたしなんかより、二人よ。」
もう一度息をつき、空を仰ぎながら言った。犬夜叉も返す言葉を見つけられずにうつむく。
弥勒も珊瑚も、相当に悲惨な状況だった。共に出血が激しく、ショック状態からなかなか立ち直らなくて何度もかごめは泣きかけた。
今はなんとか落ち着き、眠っている。それぞれ手当ての便宜上別々の部屋に置いてあるが、そのうち動けるようになれば一つの部屋にしようと思う。
「……大丈夫、だよ。あいつらが、そう簡単に死ぬわけ…あるか。」
ゆっくりとだが言い切った犬夜叉にかごめは微笑み、そして、
「とりあえず、あたしは珊瑚ちゃんについてる。犬夜叉は弥勒さまね。」
今さっき出てきたばかりの戸の障子を、開けた。
「おお、かごめ。大丈夫なのか?」
七宝が心配そうに聞いてくる。
「大丈夫よ。それより七宝ちゃん、珊瑚ちゃんは?」
「…まだ、眠ったままじゃ。」
心底辛そうに言った子狐の小さな頭を軽く撫でる。
「そう……でも、だいぶ落ち着いたみたいね。」
さすが、常人の生命力の比ではない。
そう心の中で感心しながら、目を伏せた。そして想う。
あたしが風邪なんかでダウンしてなきゃ…そしたら、きっと二人は二人で一緒に、ちゃんと対応できたのに。
そして同時にふと思った。
どうして、彼らほどの使い手が、こうも簡単にやられてしまったのだろう。
かごめがそれについて深く考えようとした矢先、珊瑚のまぶたがゆっくりと上げられた。
犬夜叉は特に何が出来るわけでもないので、ただぼーっと座り、眠ったような表情の弥勒をじっと見ていた。
瀕死の弥勒を見つけた時からずっと考えていた。なぜ、この二人がこれだけ易々と、それも同時にやられたりしたのだろう。
何かが妙だ。何か、前にも一度、こんな……
そこまで考えた時、弥勒が小さくうめいた。そして、その目がすっと開けられる。
「弥勒!」
思わず声をあげ、前へ乗り出す。と。
「っわ…」
一瞬だけ、弥勒が、身を引いた。
それを犬夜叉が訝しく思う前に、弥勒が傷の痛みに顔をしかめる。
「っつぅ……」
「動くんじゃねえよ。てめえ、今、腹に穴あいてんだぞ。」
暫しぼうっと思考をめぐらすように弥勒の瞳の照準が揺らぎ、そしてああ、と声をあげた。
「…そう、だ。そうだった……」
同時に、その瞳が真っ暗な闇に閉ざされた。出会った頃はよく見せていた、あの。
「……弥勒?」
「ん?あ、ああ。すまなかったな…手をわずらわせたようだ。」
馬鹿言ってんじゃねえよ、と吐き捨てる。
「それより弥勒。お前、誰にやられた?」
大して難しい問いではない。だからこそ、犬夜叉も単刀直入に訊ねたのだ。だがその瞬間、弥勒の体はびくっと震えた。
「…どうした?」
少し驚き、聞く。しかし弥勒はすでにいつも通りの表情で、短く返した。
「いえ。別に。」
「で、だから誰なんだよ。お前、そんな簡単に正面から腹刺されるほど抜けちゃいねえだろ。」
答えは、なかった。
「おい。」
「…言いたくない、と言ったら?」
「はあ?」
何言ってんだ、と犬夜叉が言いかけたその時、轟音と共に部屋の戸と壁が半壊した。
「な……」
唖然としてその方角を見ると、そこには、初めて見たときと同じように激情を隠そうともしていない珊瑚が、いた。白い単の下にあちこち赤黒く薄汚れた包帯が覗き、その手には飛来骨。
「法師さまっ……」
絞り出すような声。実際、声を出すのも辛いほどの状態のはずだが。
「…何故、あたしを裏切った!!」
犬夜叉は、弥勒の眼が見開かれたのも気にならなかった。
ただ、思った。
どこかで聞いたような台詞だ・と。
いつだったか、自分も同じように言われたような、気がする――…
「答えろっ…!」
息を切らしながら問う珊瑚の後ろから、かごめがおろおろと駆け寄ってきた。
「さ、珊瑚ちゃ…何言ってるの?弥勒さまはっ……」
「五月蝿い!!」
滅多に聞かない荒ぶった怒鳴り声に、びくっと身体を震わせる。
「…珊瑚、ちゃん……。」
「答え…いや、」
命令形の途中で一旦言葉を切り、
「お願いだ。……答えて。」
言葉の後半は、哀願だった。声をどれだけ荒げようとも、その奥では信じていたくてすがっている。
「……何を、言っている?」
やっと言った弥勒の言葉に、犬夜叉もそうだと賛同の声をあげかける。
「あのなあ珊瑚、こいつは…」
「お前こそ、私を襲ったじゃないですか。」
自分の声の上から被せるようにして放たれたその言葉に、犬夜叉は再び声を失った。
――ああ、やっぱり覚えがある。
――これは、これでは、まるで――…
…五十年前の、俺と桔梗だ。
珊瑚はしばらくの間目を丸くして、ただ立ち尽くしていた。しかし不意にはっとしたように、声を荒げる。
「……何って!?あたし、あたしは法師さまに…法師さまに、崖から落とされたんだよ!?」
「はあ!?」
弥勒と犬夜叉が同時に声をあげる。かごめは完全に声を失っていた。
「だって…だって……」
がくがくとその肩が震え始め、そして突如、身体ごと崩れ落ちた。
「っ、珊瑚!!」
上がった声は常なら法師、しかし今回は半妖のもの。法師は目を見開き、微動だにせずそのさまを見つめていた。
がし、と抱きとめた犬夜叉の手をそれでも振り解こうとするも、畳にはぽた、ぽたと血が滴る。
「珊瑚ちゃん!やっぱり寝てなきゃ……こんなに動くなんて、無茶よ!!」
かごめが悲鳴じみた抗議をするが、珊瑚の耳には届いていないようだった。
「…あたし…は……、あたし、だって……」
そこから先は言葉にならず、珊瑚は瞼をおろして全身の力を抜いた。意識を手放す寸前、微かに唇が動く。至近距離にいた犬夜叉だけが、その言葉を読み取った。
“信じてたのに。”
五十年前と、蘇ってからの数ヶ月。
ずっとずっと、胸の底で吐くようにして呟いていた、言葉だ。
「……どーゆーことか、ちゃんと説明してもらおうか。」
床から半身を起こした弥勒を半ば睨みつけ、問う。弥勒はといえば布団の上に未だ微かに散らばる障子の残骸をぱんぱんと払い、まるで他人事のようにどこか遠くを見つめていた。
最近、なりを潜めていた暗い目。犬夜叉は不意に背筋が寒くなるのを感じた。
「おい…。」
「…どういう、も、何も……そのまんまです。」
困ったように眉を寄せ、その口元は勝手に微笑う。それは多分ただの反射であり、本人は自分が微笑っていることにすら気付いていないだろう。
「事細かに言え、というなら言えます。どうしてそうなった、と言われれば何も言えませんが。」
「それで良い。手短に話せ。」
「条件は付けるんですなあ。」
呆れたように叩く軽口を聞き流し、話すのを待った。はあ、とため息が漏れる。
「……二手に分かれて、そのあと急に珊瑚が来て、油断した隙に刀で腹を刺されて、うずくまったらご丁寧に傷の上から蹴落とされました。あの斜面の上から。イバラの位置も計算ずくでしたね、あれは。」
淡々と、しかし別に暗く沈んだわけでもなく本当に普通にそう言った弥勒の説明は、確かに簡潔だった。それだけになんだか不安になる。
「…弥勒。お前、変だぞ。」
「変?別に頭は打っていないつもりですがね、かばいましたから」
鼻で哂うが、その口調はいつまでも丁寧なままだった。犬夜叉に対してはほとんど使わなくなっていた丁寧語の完全復活。
……嫌な感覚。
改めて、犬夜叉は思った。
こいつ、また、人を信じなくなってる。
明るくて無害な人間不信。
それは傍から見れば大した事の無さそうなものだが、決してそうではなく、むしろ無自覚で掴み所が無いだけにますます性質が悪かった。
「何があった…って、言われても。」
やっと気が付いた珊瑚は仏頂面でそう言った。かごめも渋い顔で、
「そうよ。…あんまり辛いことは、言わせたくない、あたし。」
「ったってなぁ、かごめ。このまんまじゃ駄目だ。珊瑚だって解ってんだろ?どう考えてもおかしいだろが、お前らの話どおりなら弥勒もお前ももう一人必要になるぜ。同じ時間帯に別の場所にそれぞれいて、しかももう一人と会ったなんてな。」
「…でも。」
「だから、きっとそれにはなんか仕掛けがあるんだよ。なんかおかしいことでもなかったのか?」
「そんなこと…分かんないよ。」
「だから話せって言うんだ。お前に分からなくても俺らなら何か見当つくかも知れねえ。このままじゃお前らきっと、何も分からないまんまで、これから顔も合わせらんねぇぞ。それに…」
言う犬夜叉自身、少し辛そうに。
「自分のこと誤解されたままなんて、気持ちのいいもんじゃねえ。」
多分、彼自身、そうだった。
「…大した事じゃないもの。急に法師さまが来て、首掴んで吊られて、酸欠なりかけたとこで崖からストンだ。一回は崖淵掴んだけど、その手も錫杖で突かれて放しちゃったしね。後は普通に落下の一途。ね、どこを疑えってんだよ。」
こちらも淡々としすぎていて気味が悪い。露骨にそんな気持ちを顔に出しながら、犬夜叉は組んだ腕をまた組み直した。
「…疑うっつーか、俺はもう分かってる。お前ら襲ったのはなんかの妖怪に決まってらぁ。お前だって分かってんだろが、同じ人間が同じ時間に別の場所に現れるわけ…」
犬夜叉の言葉も半ばに、珊瑚はぼそっと言った。怒っているような泣きそうなような、少し消えそうな声。
「……もしかしたらあっちが嘘ついてんのかも知んないし」
言うか言わないかの内に、犬夜叉の腕が伸びて珊瑚の胸倉を掴んでいた。相手が怪我人だということなどすっかり忘れている。ぐいっと乱暴に引き寄せた。
「ちょっ、犬夜……」
「…てめぇ、まさか今の本気で言ったんじゃねえだろな。」
かごめの止める声も無視して、怒りを露わに声を絞り出す。瞬きもせずに睨んでくるその視線から目を離せなくて、珊瑚はきり、と唇を噛んだ。刹那、ぱん、と犬夜叉の腕を払う。逆に相手の胸倉を掴み返した。
「…本気でっ……」
目に少し涙を溜めて、叫ぶように、
「…本気で、大事だったから!だからこうしか思えないんじゃないか!!」
「……、」
言葉は出なかった。すぐ目の前にある珊瑚の目を見つめるしか出来なかった。
想いが強いほど裏切られると痛くて辛くて、冷静に判断する・なんて出来ない。
身をもって知っていたこと。
怖い。
怖いんだ。ずっと前から、怖かった。
何かを手に入れたくなってもそれはきっといつか何処かへ逃げてしまって、絶対に手に入らない。そんなの分かりきったことだもの。
でも最近は、このごろはずっと、なんにも逃げていかなかったから。
欲しかった温かさも優しさも全部、傍にいて離れなくて。
だから忘れていた、失くすこと。
逃げられること。
もう嫌だ。
――でも、それより何より――…
怖い。怖くて、前になんて進めない。
一度に失くした大事なもの、全部埋めるくらいに大切なもの、たくさんたくさん。
本当に最近手に入れたばかりで、だけどほんとに大切だった。大好きだった。
だから忘れていたんだ、大事なものを失くす苦しさなんて。
大事なものに傷つけられる、痛さなんて。
――だけど、それより何より、忘れていたのは――…
目が覚めた。あたりは真っ暗で、多分真夜中だろうとは思った。枕元に置かれた錫杖は闇の中でも淡く光って見える。
これが、珊瑚の手を、突いた?
ありえない。
まだ腹が痛む。少し動くだけで酷く冷たい痛みを感じたが、動けないことは無いと思った。動かないと、思考が麻痺しそうだった。知っているはずの温かさも何処かに忘れてきてしまいそうで、怖かった。
解っている。
解っているんだけど、だけど……
ふっ、と息をつく。
頭を冷やそう。今の思考回路では、まともなことは何も考えられそうに無い。
錫杖を掴んだ。立ち上がり、なるべく音がしないように障子を開けて、縁側をゆっくりと歩いていく。月明かりがまぶしかった。
先客が居た。
ここを発見した貴方は相当にマメですねv(え)
実は間にお話があるんです〜。
なんとなく胸が騒いで、犬夜叉は眠れずに居た。元々の状況からして眠れるはずも無かったのだが、それ以上に、これからまた面倒なことになりそうな気がして、どうも嫌な気分だったのだ。
きり、と、軽く胸が痛んだ、気がした。
矢が、刺さっていた、あの。
「……」
ぎゅ、とその位置の衣を握り、下唇を少し噛む。心に浮かぶ言葉は、
許さねえ。
あんなことで、また傷ついてる奴がいる。
また、平気で、傷つけてる奴がいる。
そいつを、許さねえ。
噛む歯に力が入って、もう少しで唇が切れるという時、轟音が耳を刺した。かごめも七宝も跳ね起き、犬夜叉は反射的に立ち上がる。
「なんだ?」
また、喧嘩か。
軽く舌打ちして、外に飛び出した。
案の定、小さな庭では珊瑚と弥勒が向かい合っていた。弥勒の手には錫杖、珊瑚の手には飛来骨。その庭に確かに植わっていたはずの樹は、見事なまでに根元近くから叩き折られている。そこらの家の大黒柱よりもよっぽど太く丈夫なはずなのだが。
「ばっ…あのなぁお前ら、何度言ったら分かんだよ!お前らが犯人だなんてありえな…」
「有り得なくたって、信じられる事実はそれしか無いだろ!」
ばし、と言い返され、なんとなく言葉につまってしまう。言えそうなことなんて、まだまだあったはずなのに。
「…ま、そういうことで。」
至極普通に、さらりと言ってのけた弥勒に、
「何がそういうことで・だっ」
言った当の珊瑚はさらに憤怒する。かごめなどは蒼い顔をしておろおろしていた。
「どけっ!!」
凄まじいまでの怒鳴り声と共に、犬夜叉を飛来骨で力任せに押し退ける。そして走り寄った先は錫杖を構え直した弥勒のところ。鈍い衝撃音が響いた。
「や、やめて二人ともっ…犬夜叉!止めなさいよっ!!」
「無茶言うな!」
半泣きの表情のかごめの、少しばかり唐突で無理な注文に、こちらも半ば悲鳴をあげる。止めたいのは山々だったが、ここで下手に手を出せばむしろ犬夜叉の方が吸い殺されるか両断されるかしそうだった。
「しつこいっ」
「そちらこそ!」
飛来骨がよくもまぁと言うほどに錫杖で次々受け流されていく。妖怪退治中の他愛ないそれに似たやりとりが若干続いた時、ふいに弥勒の足が止まった。びくっと、何かに留められるように。
「っ!」
「……」
二人ともの視線が一瞬下をすっと見定め、しかし次の瞬間には珊瑚の飛来骨が錫杖をくぐって弥勒の肩を穿った。
「っか……」
がく、と膝が落ちる。思わずかごめが弥勒さま・と小さく叫んだが、足は動かなかった。動けなかった。
「…あたし、だって……」
珊瑚の足も、支えを失ったようにゆらっと落ちる。しゃがむようにした弥勒の傍に、とん、と膝をついて、瞳を哀しそうに細くしぼった。
「…こんなこと、やりたくなかった、よ」
言うと同時に、喉からげほっと血が溢れた。一瞬弥勒の目に光が宿り、しかし消える。
それには気づかず、犬夜叉もかごめも七宝も、突然のことにほんの一瞬だけひるんだ。
その瞬間。
弥勒と珊瑚の座っているすぐそばの地面が弾け、黒い影が飛び出した。
長めの黒髪。黒い服。
目だけが異常に紅かった。
「弱り切った、ね。」
にい、と笑いながら、しゃがれたような声でぼそっと言う。鋭く尖った指先五本がそろって方向を定め、そして、振り下ろされかけたが下りきることはなかった。
やはり同時に響いた、鈍い音。
一つはその異形に叩きつけるようにして投げられた飛来骨によるものであり、もう一つは力任せに横薙ぎに振るわれた錫杖によるものだった。
「……!?…な、なっ…」
あまり状況を把握していないらしい異形の声などもはやほとんど聞きもせず、珊瑚と弥勒が低く呟く。
「そぉか、あんたか……」
「お前、か……」
ゆら、と立ち上がり、無造作にそれぞれの出血箇所を拭う。唇は笑っていた。
ただし瞳は、これ以上ないくらいに鋭く、凍っている。
怒りに満ちていた。
「お前が法師さまを、」
「お前が珊瑚を、」
名詞だけが少し違い、あとは完全に声も重ねて、
「傷つけたっ」
言った。
「あ、あの、珊瑚ちゃ…」
「ったく馬鹿だよねぇこっちの喧嘩の決着着いた途端にのこのこ出てくるなんてさ」
「いやそれ以前に決着を早めさせる手段のが問題でしょ、この場合。まさかわざわざ自分で私の足引っ張ってくれるとは思いませんでしたよ」
「おかげで場所も分かったけど」
「それもそうですな」
まったく状況の呑み込めないかごめの言葉は、聞こえていないかのように話す。さっきまでの剣幕は嘘のようだ。普段退治仕事をする時の打ち合わせの姿と、大差無い。
「っていうかさ、」
異形の前にすっと立ち、にや、と微笑う。犬夜叉は、何故か背筋を冷たいものが走るのを感じた。
「喧嘩までの会話の雰囲気読めって話なんだよ、馬――鹿。」
刹那の風が相手の髪を揺らし、同時にその腕が胴を離れて紙のごとくふわりと舞った。
どしゃ、という鈍い音。珊瑚の手には、いつも腰に差していた、脇差。赤黒い血が刃筋を辿り、垂れる。
「…、……っひ!?ぇ……」
しばらくの沈黙の後で思い出したように叫びおたおたと慌て始めたそれにあまり構った風もなく、弥勒もすたすたと歩み寄る。
「全くですね。おかげでこっちはまた新しい傷作ってしまいました」
にこやかな顔とは正反対に、その右足は勢い良く相手の左肩を叩き伏せた。うげ、と声が漏れる。
「ねぇ、どうしようか。こいつ。」
「そうですねー…まぁ滅却するのは前提として、」
ちら、と見やる目は、冷たい。
「ただ殺すのもどうかと。」
「やっぱり?」
もう完全に笑ってなどいなかった。それぞれの武器を握る手は力が入りすぎて白くなっている。
「…お、おい……お前ら、ちょっ」
「まず飛来骨は一撃必殺だから却下ね」
犬夜叉の少し怯えた控えめな声は無視して、未だ異形の上に乗ったままだった飛来骨を足で蹴り除ける。がらんがらんと派手な音を立ててそれは庭の隅まで飛んでいった。
「あの……弥勒さま?珊瑚ちゃん?」
「じゃあ風穴なんてもっての他ですね」
すでに半分苦笑いの入ってきたかごめの声もまた無視し、こちらは数珠をきゅっと巻き直す。逆に錫杖は握り締めた。
「さて、どうしますか。」
「もう左腕飛ばしちゃったけど、そういえば」
「ああそういえば」
「じゃあ残りはどうしよう?」
「どうしましょうねぇ」
ぞっとしない内容の会話をこともなげに繰り返す彼らを、周囲の者は、そう、異形すら含めて、唖然として見つめていた。
「…た、……助け………」
「そんな化け物見るみたいにこっち見ないでよ。」
「安心しなさい、私達は一応人の心ってものを持ち合わせております。ですから、」
すっ、と一息、呼吸を合わせるための間があった。そしてその後には、異形の口には脇差が、腹には妖気を発するものを一瞬で霧散させる札がすでに在った。
「殺す瞬間くらいは一瞬にしてあげましょう。」
どす。
鈍い音がして、札の上から錫杖が突き刺さった。
「痛くない?」
「と、言えば嘘になりますが、まぁそんなに酷くは無いですよ。」
のんびりした会話を、その他の人々は酷く複雑な表情を浮かべて聞いていた。
縁側に差し込む光は、あたたかくて柔らかい空の歌。
「…何をどうしたら昨日から今日でこんなに変わるんだろう…」
「呑気じゃなぁ…」
「どうでもいーじゃねぇか」
かなり怪訝そうに顔を見合わせながらひそひそ言っている二人の傍らで、犬夜叉が本当にどうでも良さそうに言った。
きっと、二人は見つけられたんだと思う。
言えたんだと思う。
なら、それでいい。
傷は治らない、でもよく考えてみると多分傷なんて最初から出来るはずも無くて、要するにほんの少し何かの形が崩れただけなんだ。
崩れたものは積み直せば良い。そのかけらが歪まないうちなら、ゆっくりで良い。
多分そんなに時間は要らない。俺に言わせれば、歪んだ上にだって新しいものを積むことも出来るから、お前らなら大丈夫だ。
まだ、きっと。
「あったかいねぇ」
珊瑚が、微笑って言った。そうですね・と、弥勒がやっぱり微笑って言った。
ふと手元を見てみる。手の甲に当てられたガーゼが血で少し茶色く色づいていた。
「……」
しばらくの間、眺める。そして勢い良くぺりっとはがして、部屋の隅にかごめがすえ付けたくずカゴに丸めて投げ捨てた。
「珊瑚?」
「んーん」
にかっと笑う。
「これくらいの傷、あんなの、要らないじゃない?」
少しして、弥勒も笑った。
---------------------End.
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これも取捨選択から蘇った作品、元「I Will」、現「もういちど。」です。ずいぶんコメントも頂いてしまって、やばいこれは好い加減復活せねば・と焦りまくりながらなんとか仕上げました;; でもやっぱあちこちショべっ…;;しかしもう話の構成とかはいじるとなおさら崩れそうでやめといた(めんどくさいと正直に言いなさい)
しかし昔のあとがき読んでみたらどうやら初案では弥勒と珊瑚は仲悪いままなのに妖怪襲ってきて珊瑚が危なくなって、でも弥勒が結局本気で助ける・みたいな話だったようで。(忘れてたのか) …どう考えてもそっちの方が話面白くなるしスッキリしますよね……(ぉぃ)
どうしましょう。仮にこの話を書き直すとしたら、きっとそっちのストーリーにして後半ほぼ全変えになると思います; いつか…もっと余裕出来たらなあ…!)ぇ