『よかった。』 ---1.













 まさに『土砂降り』というに相応しい雨。と、風だった。
 何しろ、相手が暴れるたびに岸壁が削られ地が掘られ、雨に溶けて土砂が実際に容赦なく降り注ぐのである。

 「――犬夜叉っ!あっち、あっちに行った!!」
「あ!?…なんだって!?聞こえねーよ!!」
「あっち!あっちだってばもうっ、川のほ…」
「かごめ様!」
「え?……きゃっ!」
呼ぶ声にはっと振り向いた少女の頭へ、まとまった一塊の土砂が降ってきた。思わず身をすくめたが、黒い影が一瞬でその体を抱え跳んで生き埋めを免れる。
「…あ……、ありがとう弥勒さまっ」
「少し、この場から離れてください!ここは危険です!!」
「でも…」
「早く!…七宝、かごめ様と森まで、行けるな?」
「任せぃ!…しかしなんちゅー悪天候なんじゃ。竜よりタチが悪いのう」
「その竜が暴れるせいで土砂は降ってくるんですよ。……珊瑚っ、そっちへ行った!」
「分かってる!!」
雨の中、それに負けない大きな声で返事が来る。轟音を立てながら激しく木や岩を水と一緒に流す濁流の前で、仁王立ちに少女が一人立っていた。
「…ったく、法師さまじゃないけど、相応の報酬をもらわないと今回は割に合わないな」
こっそり一人ごちながら、ぎっと前を睨む。純白の鱗を全身にまとった赤眼の竜が、まっすぐこちらに向かってきていた。目と同じ真っ赤な口をがぱっと開け、自分を喰おうとしているのがよく分かる。
「好い加減っ……」
腕を振り上げる。
「御堂に戻れ!!」
振り下ろす。飛来骨が、勢い良く空を切っていった。
 ある程度力を抑えたそれは、しかし思いっきり竜の横腹を殴りつけその進路を無理矢理変える。よし・と小さく呟き、戻ってきた飛来骨を掴み取る。
「川に逃げ込まれちゃ面倒だしな…珊瑚を待機させておいて正解だった」
一人、弥勒が呟いていた。
「犬夜叉―!そっち、戻りましたよ――!!私も後ろから追いますから!挟み撃ちだ、解るな!?」
「解るわっ、馬鹿にすんな馬鹿野郎っ!!」
「馬鹿馬鹿と連呼する辺りがまた馬鹿っぽいんだがな」
これも独り言だった。
 穿たれた横腹が痛むのか、竜は変に蛇行しながらそれでも凄まじいスピードで森を突き進む。そしてその緑を抜けた時、…目の前には真紅の衣と白銀の髪。
「待ってたぜ」
にっと笑う。真っ直ぐに刀を突きつけ、そして跳んだ。高く高く、そして刀の峰で頭頂部を強打する。ぐら・とかしいで一瞬動きの鈍ったその瞬間、素早く頭の鱗を見渡した。
 一つだけ、ほんの僅かだが桜色に色付いた綺麗な鱗がある。
「!…あれかっ」
しめたとばかりに笑った犬夜叉を、紅い目がぎっと睨んだ。真っ白い尾が持ち上がり、小うるさい敵を串刺しにするべく柔らかにしなる。
「……っ」
「犬夜叉!」
かごめが堪らず叫んだ。が、その瞬間。

「挟み撃ちだと言っとろーに、つくづくせっかちな奴だ。」

割と呑気な声が呟いて、そして竜の飛び出てきた同じ場所から弥勒がばっと走り出た。人間にしては異常に近い跳躍力で、しなった尾の先端近くまで跳ぶ。
 跳びながら、札を一枚取り出して錫杖にぺたりと貼り付けた。一瞬、電気のような青白い光がぱりっと音を出して走る。
「せーのっ」
誰と呼吸を合わせたのだかよく分からない声。そして、弥勒は思いっきり突き刺すようにして錫杖を竜の尾に投げつけた。綺麗な線を描き、それは丁度良く鱗の合間を縫って刺さる。正確には、投げた勢いと法力とで無理矢理突き刺したのだろうが。
 「尾は押さえましたよー」
言われずとも分かっている。そして、犬夜叉は重力に従って落ちていった。目は真っ直ぐに標的を見ている。
 目指すのは桜色の鱗。
 ここへ出向く際に手渡されていた、専用の札を懐から取り出す。


「これで、大人しく寝てやがれ!!」

 ぱぁん・と勢い良く、犬夜叉は札を鱗に貼り付けた。



































 「…片付いたみたいだな」
静まった森の向こうを見つめ、ほっと息をつきながら言う。
「雲母、行かせるまでもなかったかなぁ」
強烈な雨に、これから森を渡って向こう側まで行く労力を思うと図らずもため息が出た。雲母は一応、かごめ達が土砂などで潰されては・と思って先程遣ったばかりだ。
「だめだめ、これくらい!」
ぶんぶんと頭を振りながら、力強く歩き出す。退治屋が雨などに弱音を吐いているわけにいかない。


 妙な声が聞こえたのはその時だった。















“――…行かせない”


















 「え?」

驚いて振り向く。当然だが、誰も居ない。茶色に濁った激流が地響きすらさせて目の前を過ぎるだけだ。
「…気のせいかな……」
首をかしげ、また前を向く。歩き出そうと足を上げたその時、…ふわ・と生温かい風が首筋を撫でた。
「っ、…!?」
即座に反応して動こうとしたが、すでに体の自由は利かなかった。慌てて視線を動かすと、白い靄に似た“何か”がしゅるしゅると足だの腕だの胴だのに巻きついている。飛来骨が、落ちた。
「んっ……」
声を出そうとしたが、いつの間にか白いものは首から口までしっかり巻きついて、珊瑚の動向を全て塞いでいる。
 背後に何かを感じ、必死で視線を後ろへ。白い顔の黒い目と、目があった。

『行かせないって言ったでしょ』

白い顔がにっと笑って言った。雨で冷え切っていたはずの体に、すうっと冷たいものが走る。
 白いものがぐいと珊瑚を引っ張った。ずっ・と足が引きずられて、地面を削る。向かうのは川。…濁流だ。



流れに引きずり込む気か。



 そう悟った瞬間、今度こそはっきりと血の気が引いた。あんな中に入ったら例えこの白いのがなくたって死んでしまう。
 誰かを呼ぼうと必死で声を出した。しかし口を塞がれていては大した声も出ず、何より雨が邪魔だ。ざあざあとうるさくて、珊瑚の声みたいに些細な音は簡単に掻き消してしまっていいた。森の向こうになど、届くわけが無かった。
 「――っ…!!」
誰も気付かない。気付けるはずも無い。




 水煙の立つような雨の中、とぷん・と思いのほか小さな音を立てて(それすらも雨は掻き消して)、彼女は流れの中に消えた。















                                ------------To Be Continued.