『よかった。』 ---6.
「…あの……」
不意にかかった声で、顔を上げる。
見慣れない、淡い黄色の小袖を着た珊瑚が立っていた。
「あれ、…何か?」
「その…」
「あのその、次はこのですかね?」
「やっ、違…」
「分かってますよ」
からかいやすいのは変わらないなあと内心思いながら、
「で、なんですか?」
問うた。若干どもりながら、なんとか答える。
「…かごめさんが、手伝って来いって」
「かごめ様が?」
「うん…あ、はいっ」
気が緩んだのか一瞬砕けかけた彼女に少し笑う。しかしかごめは急に戻ったかと思えばそんなことを仕組みに行ったのか。
試しに彼女の傍で、…“確かめてみろ”、と。
「…じゃ、水、汲みましょうか」
「はい…あの、…何してたんですか?」
「え?あー…いや、ちょっと桶の直撃を」
「?」
「あ、良いです。気にしないで」
くすくすと笑いながら立った。見上げていた珊瑚の顔を見下ろす。酷く、懐かしい感じがした。
自分もかなりじっと凝視していただろうに、珊瑚はあまり気づかない様子でそれどころかこちらを見つめ返していた。正確には、自分の視線に気付いていないのかもしれないが。
「…なんです?」
「え?…あ、いや……」
なんでもないです・と慌てて言いながら、珊瑚は慌てたように桶を井戸の中に入れて縄を握る。首を傾げながら、それを手伝うべく弥勒も縄を握った。
がらがらがら。耳障りな音がして、水でいっぱいになった桶が上がってくる。
「私が持ちますよ」
「でも…」
「お前に力があるのは知ってますが」
「え」
「でも、お前は女。私は男ですから、持ちますよ」
「……ぁ…ありがと」
「いいえ。どういたしまして」
「……。」
珊瑚が僅かに俯く。何か困ったように眉根を寄せているので、何かあったのかとその顔を覗き込む。
「…何か?」
「わっ!…や、あの、すみま…その……なんでも。」
最後は消え入るような声。そのままますます俯いて、何も言わない。不審には思ったがいつものからかって聞き出す手が使えない以上、弥勒は黙って引き下がるしかない。ため息を漏らし、歩きかける。と。
「……」
ふわ・と左腕に温かみを感じた。ぱっと見てみる。ほんの少し珊瑚が寄り添うようにくっついて、その髪と頬が弥勒の右袖に触れていた。
「…なん、ですか?」
「…なん、でしょう。」
本気で珊瑚も解っていないようで、しかし彼女のほうは至ってどうでも良さそうなのだ。両目を柔らかく閉じ、微かに笑みすら浮かべている。
「ほっとするんです。法師さまと、居ると」
「…そうですか」
「どうしてだろう、法師さま。法師さまのこと、知らないのに」
「……」
知らない、か。今更だが、まっすぐ言われると正直きつい。
「知らないけど、知ってる気がする。…あ、本当は、知っていたのに忘れてるんでしたっけ」
「…ええ」
「…私、法師さまのこと好きだったかもしれないですね」
「え?」
「分からないけど。」
ふふ・と笑う彼女は本当に何も分からない顔で。けど彼は少し、少し哀しく目を細めて。
「どうしました?」
本気で不思議そうに訊ねた珊瑚に、それでも弥勒は微笑って答える。彼女の頭に優しく手を置きながら。
「――そう、そうだったなら、良いですね。」
そうだったら、良い。そうなら、良いのに。
確かめる術は、今はどこにも無くて。
訊くべき相手・君は、本当の君は、いないから。
「のう犬夜叉」
「あんだよ」
「いつになったら全部戻るんじゃろうのう?」
「知らねーよ」
「どうして、こんなねじくれたんじゃろうのう?」
「知らねーよ」
「あの日、何が違ったんじゃろうのう?いつもの退治仕事と、いつもの日と、…何が違ったんじゃろうのう?何が違って、こうなったんじゃろうのう?何のせいで、こうなってしまったんじゃろうのう?」
「…知らねーよ」
「ねえ、すえさんって、ずっと此処に一人で住んでるの?」
「そうだよ。母さんが死んでから、ずっと一人。父親は知らない」
「…そっかー」
「かごめちゃん、鍋煮えてる。…別に寂しくなんかないよ。まあ、珊瑚ちゃんが来た時は嬉しかったけど」
「話し相手がいるのって楽しいでしょ?」
「まあね…うん。楽しいね」
ふふふ・と笑い合う。夕餉の支度をしながらの、他愛ないひと時だった。
「珊瑚ちゃんて、分かりやすいから、面白いよ」
「そうねぇ。それを良いことに遊びまくってた人もいるけど」
「…それってもしかしてあの法師様?」
「そだよ。…よく分かったわね」
「分かるよ、見てりゃ。それに、」
くすりと笑って、
「…あの人と居るとね、珊瑚ちゃん、本人分かってるかどーか微妙だけど、…ちょっと嬉しそうなんだよ」
「そうなの?」
吃驚したように聞き返したかごめに、力強く頷く。
「分かりやすい・って言ったばっかじゃない」
「あ、そっか」
あはははは。
「…でも、そうなると、苦しいね」
「うん」
「法師様、よく平気だね」
「多分平気じゃないと思うわ、全然。独占欲強いのよあの人」
「でも普通に見えるよ」
「私の仲間、痩せ我慢が異様に得意な人たちばっかなの。あの人はその中でも一番のタヌキよ」
「たぬき…」
「実際タヌキのお友達もいるし」
「…それ関係無いと思う」
「うん、私も思う」
「…そっか。でも、だとしたら、…強い人たちばっかりだね」
「そうかもしれない。でも、だから辛い」
そう言って眉根を寄せながら笑ったかごめの顔。それを数秒見つめて、すえは「そっか」とだけ言った。
「そういえば、あの法師様。いっつも右手に手甲してるね…取らないの?」
「取れないの」
「どうして?」
「呪いで…取ったら、全部吸い込んじゃうから」
「すいこんじゃう?」
「うん。ホントに、比喩なしで吸い込んじゃうの。…もしかしたら、もしかしたらね、あと何年もしない内に…弥勒さま自身まで、吸い込んじゃうかもしれないんだって」
すえは酷く驚いた様子だった。しばらくして、「…死んじゃうの?」とぽつりと訊いた。うん・と頷く。
「…あ、あああたし何こんなに喋っちゃってんだろ、すえさん関係無いのにねっ…ごめんね、暗い話ばっかりで!退屈だよね、こんなのっ」
「ううん、良いって良いって!…退屈なんかじゃないよ。」
少し俯く。
「…そっか。あの手甲、そんなんだったんだ。…そっか……」
そう呟くすえは、どこか違う場所を見ているようだった。
かごめは少し首を傾げる。
------------To Be Continued.