『よかった。』 ---8.
「仕掛け、ってどこ?すえさん」
きょろ・と川を見渡す。一番降りやすい所から川辺まで行ったが、見たところ何も無かった。ただ静かに水が流れ、深い所が綺麗な青緑色に色付いている。ありがちな渓流の景色だ。
「見えないよ?」
「うん、無いもの」
「?」
言葉の意味が読めず、振り返って斜面に腰掛けたすえを見た。すえは笑顔。
だがその瞳がどこか違う色のような気がして、珊瑚は少し後ずさる。
「…無いの?」
「無いよ。嘘だから」
「嘘?…なんで」
「珊瑚ちゃんに川まで来てほしかったんだ。さすがに家までは届かないから」
「届く……?」
「力がね」
にこ・と笑った。珊瑚が何か言おうと口を開きかける。
だがその瞬間、水の中から白い“手”が伸びた。あっという間に珊瑚に巻きつく。
「……っ、」
「ごめんね、でも、もう解ったし。」
すえは笑って手を振った。珊瑚はその手を取ろうと自分の腕を伸ばし、届かずそのままざぶんと水に沈んだ。
沈む瞬間、少し口を開けて何かを叫んだようだったが、それは誰にも聞こえなかった。
遠ざかる水の上の景色を見つめながら、珊瑚はああ・と呟いていた。
見たことがある。
こんな、こんな風景を、あんな目を、何度か見たことがある。
よく知っていると思っていた瞳が急に冷たくなって自分を射抜く。手を伸ばしてもその人には届かない。声を上げても、その人の手の握る武器が止まることは――…
『姉上』
瞼の限界まで目を見開く。ざあっと頭の奥から一気に蠢きだしたものがあって、背筋に素早く冷たいものが走り、わけも解らないのに涙が出る。
ほころびだらけの記憶の残像がぶつぶつと途切れながら目の前をよぎった。
血だらけの人。まだ幼い人。息の絶えた人々の中で、ただ立ち尽くす人。
「琥珀」
呟いた瞬間水音がして、体は水に沈んだ。
揺れる水面。いくつか、不規則に浮かんで弾ける気泡。
一瞬静寂が降りた。
ふ・とすえが息をついて立ち上がりかけた時、
「――…待った!」
静寂を思いっきり破る、大きな声が響いた。振り返り、にっと笑う。
「法師様」
「…どういうつもりだ」
若干息が切れていた。少し、肩が上下している。
「もうあの薬草見つけたの?」
「こっちから、霊気を感じたもので」
「戻って来たんだ」
けたけた軽く笑うすえを少し睨み、それからとんと地を蹴った。その勢いで川まで行こうとしたが、…白い靄が目の前に広がり、ぴたりと立ち止まる。
「……どけ」
「駄目」
「珊瑚が死ぬぞ」
「そのつもりでやってるよ」
「何か怨みでも?」
「別に。習性みたいなもんかな。この川に近づく、あたしくらいの年齢の女は、すぐ殺したくなる」
「地縛霊か」
「よく分かんない。でももう直らないと思う。現に今あたしは次にかごめちゃんを狙おうと思ってる」
「正直なことで」
「よく言われたよ、昔だけどね」
「…どいてくれ」
「厭だよ。これでも待ったんだ」
少し黙る。どういうことだ・と目で訊く。すえがまた、けたけたと哂いだした。
「本当はあの雨のとき殺そうと思ってたんだよ」
「…じゃあ、珊瑚を川に落としたのは……」
「うん。でもやめた。わざわざ助けて、ここまで運んだ」
弥勒がますます顔をしかめる。
「どうして」
「興味がわいたんだよ」
す・と右手を上げる。ごぽごぽと水中から泡が出て、白い手に巻かれた珊瑚が水面に浮かぶようにして出てきた。かろうじて胸は上下している。咄嗟に名を呼んだが、すぐに意識は無いと気付く。
「ちくしょ…」
舌打ちして、白い靄にも構わず進みかけたが、すえの声にまた止まる。
「この子、雨の時、水に沈んで自分が死ぬと思った瞬間、…なんて言ったと思う?」
「……」
すえを見る。すえも、弥勒を見ている。笑って。
「“よかった”って言ったんだよ」
弥勒の目が見開かれた。すえの声が少し大きくなる。
「よかった・って。自分が死ぬのにさ、これからあの世に行くっていうのに、…“よかった”って言ったんだ。声にはならなかったけど、でも心底ほっとしたみたいにね。そんなの今まで無かった。普通の人間なら、生きているうちにこうすれば良かった・とかあれをしたかった・とか後悔する」
だから興味が出たんだよ・と。
「それで暫く生かそうと思った。引き上げて、意識が戻ってからそれとなく訊いてみようって。…そしたら記憶が無いなんてね、笑っちゃう」
「あれはお前にとっても予想外・か」
「うん。…でもあんた達が来て、しばらく一緒に過ごして、本人に訊くまでも無かったね。大体分かった。少しはあの子本人からも聞き出せたし…だからもう用が無いの。殺すの」
弥勒はよほど怪訝な表情をしたらしい。あはは・とまたすえが笑った。
「分かんない?分かんないよね。…あんたには分かんないさ」
「どうして?」
「教えてあげようか?」
からかうような調子で言って、挑戦的な目つきで弥勒の目を覗き込む。
「――あんたのせいだよ」
たった一言。たった一言、何かの宣告のように、言った。
------------To Be Continued.